小出恵介を男泣きさせた内村光良の“映画&お笑い愛”とアノ人への反発

geikoukan0325.jpg※イメージ画像:映画『ボクたちの交換日記』公式サイトより

 3月23日、内村光良監督作品『ボクたちの交換日記』の初日舞台挨拶が新宿で行われた。登壇した主演の小出恵介は、内村からの「お笑い芸人という役柄に正面から取り組んでくれてありがとう」という内容の御礼の手紙に感激し、号泣しながら「監督を男にしたい」と挨拶した。厳しい現場でしごかれたり、事故などの苦難に見舞われたというわけでもなく、誰かが引退するような別れの場でもないにもかかわらず、初日の舞台挨拶で小出クラスの実績ある俳優が号泣することは珍しい。「監督を男にする」という台詞を野球の世界ではなく、映画監督に対して使うというのも聞いたことがない。

 そこには、内村光良の“映画とお笑いにかける情熱”に対する思いはもちろん、公開前に話題となったキングコング・西野の発言に対する悔しさがあったのではないだろうか。

 もともと内村は日本映画学校出身で、映画を作りたくて上京した人間である。しかしながら、初監督作品となった『ピーナッツ』は単館上映で、出演者も『内村プロデュース』(テレビ朝日系)で共演していた芸人たちがメインだったため、内輪ウケの学芸会的なとらえ方をされ、北野武や松本人志といった、お笑い出身の監督作品のように、大きなインパクトを与えるには至らなかった。北野や松本の“センスやカリスマ性を全面に押し出した”作品づくりに対し、内村は誰にでもわかりやすい話をオーソドックスに作っていく傾向がある。また、今回『ボクたちの交換日記』に出演したカンニング竹山が「監督としてのオーラがない」といったように、本人自ら映画の現場でカリスマ性を発揮することを嫌い封印しているようだ。

 威圧的な態度と取られかねない“カリスマ性”ではなく、年齢やキャリアを越え、コントでもドラマでも映画でも、作品を作りだす上で“仲間意識”を大切にしているように見える内村。そういった姿勢は、共演した長澤まさみや川口春奈らから慕われ、多くの芸人から尊敬される要因にもなっている。もちろん、この仲間意識は“お友達感覚”ではない。現に、小出と伊藤淳史が演じるお笑いコンビ『房総スイマーズ』を、役作りのために、いきなりお笑いのステージに立たせるといった荒療治が行なわれた。当然のことながら、ステージ上の緊迫した空気に打ちのめされることとなった二人。その後、内村はオフの時間を割いてまでコント指導を行い、「“一緒に”作品を作り上げていく」姿勢を示したという。

 内村が憧れた“映画”と、信じ突き進んできた“お笑い”の世界。このふたつの題材が合わさった『ボクたちの交換日記』。内村のこの映画に対する“並々ならぬ思い”は想像に難しくない。そして、その想いを役柄を通じて知った小出だからこそ、感極まった。そして、「監督を男にしたい」という、一見失礼にも思える小出の言葉は、監督である内村と役者陣の間に壁はなく、一緒にただただ良い作品を作ろうと汗を流しあった仲間としての親愛の情に加え、中途半端に(映画を観ていない段階で)この作品にケチをつけた、キングコング・西野への彼なりの反発も含まれていると見ていいだろう。

 西野は2月4日、Twitterで「『芸人交換日記』なんて、ちっとも面白くないし、都合よく乗っかる芸人はもっと面白くないですね」とつぶやき、著者である鈴木おさむが「ぼくの書いた物はいくら批判してもいいですが、都合よくのっかる芸人って誰のことを言ってるんですかね? この言い方は正直悲しいです」と噛みついた。その後も鈴木の妻である森三中・大島美幸がテレビ番組で西野に向け暴言を連発するなど騒動は拡大した。
 
 西野に脊髄反射的にTwitterで抗議をした鈴木や、番組で大騒ぎをして波風を立て、逆に作品の“ステマ”を疑われてしまった森三中・大島のようなやり方ではなく、作品への思い入れと完成度で反撃を加えた小出らの態度を、キンコン西野はどのような思いで見つめるのだろうか?
(文=潜水亭沈没)

men's Pick Up