【現役セックスワーカーの素顔と本音】第1話

援交発、スナック経由のヘルス嬢・前編

2974269718_7b5556edc6.jpg※イメージ画像 photo by sexyi from flickr

 多くの産業が不景気の煽りを受け、非常に厳しい状況が続くなか、不況知らずと言われているのが「性」に携わる商売だ。性産業とひとくちに言っても、個室ビデオやラブホテルなどの経営から、アダルトグッズの製造・小売業まで、種類を挙げていけばキリがないほど枝分かれしている業界である。ところで、性産業に携わる人は、どのような事情を抱えているのだろうか? 

 A子(24歳)がセックスワーカーになったのは、13歳の時だった。ご存知のとおり、法律上13歳の少女が「性」を売り物にした職業に就くことは不可能である。しかし、それはあくまでも「法律上」。実際には、多くの少女たちが、早咲きのセックスワーカーとして性産業に携わっている。「出会い系サイト」を利用した「援助交際」という形で。と聞くと、髪の毛を染めた派手な不良少女を想像してしまうが、A子の場合は全く逆だった。中高一貫教育の、いわゆるお嬢様学校である。カトリック系のミッションスクールで、ボランティア活動にも熱心な教育方針だった。当然、公立校と違って、学費も決して安くはない。「うちは、特別お金持ちという家ではなかったんですけど、父が学歴のある人じゃなかったからかな。子どもにはきちんとした教育を受けさせたかったのかも」とA子は語る。

 親が、高い学費を払ってまで私立の学校に行かせてくれているのだから、親に迷惑をかけるようなことはしたくなかった。だから家庭では、援助交際をやっていることはこれっぽっちも見せなかった。「手のかからない子どもだったと思います」

 A子の話をここまで聞いて、ふとした疑問が沸いてきた。彼女は、決してカネに困って援助交際を始めたわけではない。にもかかわらず、出会い系サイトにアクセスしてしまった理由はどこにあるのか? 「もしかして、セックスが好きだったの?」という不躾な質問を投げてみたところ、「セックスがキライってわけでもなかったけど、決して好きではなかった」という。

 好きになったのは、セックスよりもむしろ「お酒」のほう。高校を卒業し、親元を離れて大学に通うこととなった彼女は、趣味と実益を兼ねてスナックでアルバイトを始める。しかし、21時~24時まで1日3時間程度の勤務では、貰える手取りは7,500円。時給2,500円なのだから、女子大生のアルバイト代としては充分な額ではあるが、「割に合わなかった」とのこと。同伴やアフター、店に来てもらうためのメールや電話を考えると、時間外労働をしていることになる。そのうえ、店では飲みたくない時もどんどん飲んで客を楽しませなければならない。酒が好きで始めたはずのスナック勤務が、だんだん苦痛になってきた。A子は、わずか2カ月でスナックを辞め、デリヘルの門を叩くことになる。

 「なんでデリヘル? 出会い系サイトの援助交際のほうが慣れていたんじゃないの?」という質問に対しては、「個人営業はやっぱり危ないと思った。今まで危険な目に遭わなかったのが不思議なくらい」という答えが返ってきた。なるほど、確かに近年、出会い系サイト絡みの事件が多発している。そう考えると、怖いものなしで援助交際していた10代の頃よりも、ある意味で大人になったのかもしれない。

 次に、「ピンサロという選択肢は考えなかったのか?」と訊ねてみた。様々な形態の風俗店の中でも、おそらくもっとも軽いのがピンサロであろう。店によって多少システムは異なるが、全裸にならずとも、フェラチオ・手コキが中心のサービス内容なので、ハードルが低いと思われる。これに関しては、「ピンサロという業種を知らなかった」というから驚きだ。13歳から援助交際をしているA子でも、風俗の業種については知識が無かったようだ。高収入求人誌をめくってみて、「デリヘルという言葉なら、なんとなく聞いたことがある」という理由で、デリヘルを選んだ。確かに、風営法の改訂で、店舗型風俗店の新規開店が事実上不可能となった昨今、無店舗型の「デリヘル」という言葉が広く浸透してきたように感じる。それは、客側だけでなく、働く女性にとっても同じだったようだ。「ピンサロやソープランドという言葉は耳慣れないが、デリヘルなら聞いたことがある!」という動機でデリヘル嬢デビューする者は意外と多いのかもしれない。

 しかし、デリヘル勤務も長くは続かなかった。結局、スナックと同様に2カ月足らずでデリヘルを辞め、箱ヘルへと移っていくこととなる。
後編に続く)

(文=菊池 美佳子)

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