ラッシャーみよしの「エロ業界栄枯盛衰物語」第7回:1983年 その2

ニッコリ笑顔でポロリ 風俗業界に射した光

aijinkurabu_f.jpg「元気マガジン」創刊号(セルフ出版)カバーガールは
松田聖子をイメージ?

 墓参りに行って草取りをしている間に、入稿を1回ブッチしたラッシャーです。ああ、83年といえば、前回の原稿では裏ビデオのことばかり書いたけれど、思えば、筒見待子さんの「夕ぐれ族」があったのねえ!

 愛人バンクって、知ってます? 安い値段で愛人が欲しい男性会員と、小遣いを稼ぎたいけど風俗はイヤだという女性会員を会わせて、あとはご自由に契約なり恋愛を、という、近年の出会い系みたいなもの。82年から83年に流行しました。ネットも携帯もない時代ですから、男も女もいちいち事務所で登録しなければならず、大変面倒だったにもかかわらず、全国から5千人の男女会員を集めたのが弱冠23歳だった筒見待子さんが主催していた「夕ぐれ族」という愛人バンクでした。


 若い女性で、その上美人。発言も「愛人は売春ではない」と勇ましく、テレビでひっぱりだこだったものだから、今まで愛人や風俗に全く無縁だったお茶の間のお父さん、お母さんまで、愛人バンクのことを知ることになり、皆がそれぞれの想像力の範囲で「愛人」について思いを馳せたわけですね(笑)。

aijinkurabu_sub02.jpgかわいらしいルックスで人気を集め、「夕暮
れ族」の広告塔として大活躍した筒見待子

 結局のところ、同年秋には「夕ぐれ族」は摘発を受け、待子さんも実刑判決を受けましたが、愛人バンクの登場は、風俗の世界をがらりと変えることになりました。

 それ以前の風俗は基本的には「売春」。立ちんぼのような個人的なものと、トルコのような管理売春がありましたが、働くお姉さんたちにはいずれも罪の意識がありました。ところが、「夕ぐれ族」のようなライトなネーミングの下、女の子たちの意識の中で自分たちの行為と犯罪との境界線があいまいになってきてしまったわけですね。

 しかも、主催者はニコニコしながらテレビにまで出ているし!

 そういえば、もう1人のニコニコ笑顔が、同年に歌舞伎町のノーパン喫茶「USA」に勤めはじめたイブちゃん。彼女もまた、瞬く間にマスコミの寵児になりました。この時期、風俗は「抜き」のないノーパン喫茶や覗き部屋などのソフトな産業が急成長しましたが、そのためにシロウト女性が働きやすくなり、また、盛んにもてはやされました。そして、イブちゃんのような可愛い普通の女の子の風俗デビューが続々と続くことになったのでした。

 さあ、こうなるとエロ雑誌の世界も世相に合わせて一変! それまでの風俗記事といえば、たいていは男性向けの週刊誌やスポーツ新聞が十八番。ぼくも「アサヒ芸能」などのピンサロ特集記事を読みながら、想像をたくましくして、日々オナニーに励んだものでした。

aijinkurabu_sub01.jpg「元気マガジン」83年9月号(セルフ出版)

 でもね、これらの雑誌の風俗記事は文章が中心で、女の子の写真は載っていないか、あるいは、載っていても目線付き。そういう写真は、なんだか「私たち悪いことをしています」みたいで、犯罪者のような雰囲気がありました。まあ、マニア的にはこの後ろめたさ感がなんともいえない味なんですが。

 というのはともかく、筒見待子さんやイブちゃんが頻繁にマスコミに出たおかげで、風俗は後ろめたいものから明るいものになったんですね。女の子たちが満面の笑みを浮かべて写真に撮られ、雑誌に登場するようになったのです。

 そして、誕生したのが「元気マガジン」(83年8月創刊/セルフ出版)という雑誌。日本で最初の風俗専門グラビア誌です。80ページしかないペラペラの雑誌でしたが、そこにはイブちゃんはじめ、何人もの風俗ギャルたちがニッコリ笑顔でオッパイをポロリとしていたのでした。

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