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フーゾクが「公定料金」だった時代


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※イメージ画像 photo by b4euphoria from flickr

 役人とか“お上”という階層は、何か事態が起きれば、手当たり次第に規制や統制をしたがるというのは昔から変わっていないらしい。フーゾクに関しても、明治の新政府になってからあれこれ決めごとを押し付けているが、とくに目を引くのは料金についての統制である。

 最初に統制がしかれたのは、明治9年のこと。まずは実験的に東京・吉原遊郭で実施された。いくつかの資料によれば、「特等6円」に始まり、1等が2円30銭、最も安い5等が1円10銭だったという。ちなみに、当時の貨幣価値を現在に置き換えるのはやや難しいが、明治初期というと白米10キロが30銭から35銭という時代なので、6円は現在の7万円から10万円程度になるかもしれない。しかも、当時は現在よりも収入の差が激しかったので、特等などは庶民には到底手の出る金額ではなかったのではないかと考えられる。

 この特等とか1等という違いは何かというと、どうやら時間ではないかと思われる。大野一英氏の著書『大須物語』(中日新聞本社)には、やはり明治初期の名古屋の色街『旭遊郭』(後の中村遊郭)の料金について記載されている。同書による情報をまとめてみると、料金の基本として「上等一昼夜1円50銭、一仕切り37銭5厘、線香一本15銭」となっていたそうだ。「仕切り」とはワンセットのプレイタイムで、いわゆる「時間」と呼ばれるものらしい。「線香」とはショートタイムのことで、おそらく15分から20分程度ではなかろうか。

 ただし、上から押し付けられるように決められたものの、実際には値引きなどが横行して、もっと安い料金が多かったということだ。

 こうした、上からの統一料金制度は、廃止されたり復活したりして、形式化していったようだ。ところが、ずっと時代が下って、太平洋戦争末期の昭和19年に復活する。その年の3月、当時の内務省から「決戦非常時措置要綱」が施行された。これは、国家に非常時にふさわしくない不健全娯楽、すなわち、遊郭やカフェー、待合(現在のラブホテルのような営業店舗)を強制的に1年間休業させ、さらなる士気の高揚を図るというものだったが、要するに、それらで働く女性たちを軍需工場に動員しようというものだった。

 だが、その手の営業を一切休業させてしまうと、工場で働く男性労働者の士気に関わると、さすがの役人も考えた。たまの休みに息抜きもできないとなると、ストレスがたまって生産性に影響が出るかもしれない。

 そこで、特別に指定した場所に限り、不健全娯楽であっても例外的に営業することを認めるとした。なんだか最初の趣旨と違うようだが、役人のやることというと、今も昔もたいして変わりなく、おかしなところがあるものである。

 この例外措置の運用は都道府県によって異なり、東京では渋谷や五反田など17か所に接待所というものも設置し、いわゆる風俗店を営業させた。営業は夕方の17時から翌朝までで、例によって統一料金となっている。17時から23時までが「半夜」と呼ばれるショートタイムのみで15円、24時以降はオールナイトで20円に定められた。

 こんなふうにフーゾクも統制がしかれたが、例によって遺法営業する女性は後を絶たなかったという。
(文=橋本玉泉)


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