サーッ…。
全身から血の気が引いていく。
守備範囲の広さには絶大な自信を持っているが、ライナーで場外に飛んでいくようなホームランはさすがに捕球できない。
この時、時刻は20時少し前。ここでなんとかゴメンなさいして、新たに相手を探すのも可能だ。激アツの時間帯なので、5分もせずに池袋で待ち合わせできる女性を探せるだろう。
問題はいかに彼女を傷つけることなくお帰りいただけるかどうかだ。
なんて言って断ろうか? 筆者のようなイケてないオッサンに見た目をけなされたら、さぞかし傷つけてしまうだろう。ここは無難に、急に仕事が入ったとか、急に寒気がして風邪をひいたとか、あくまでもこちらの勝手な都合で仕方なく断るという方向に持っていくべきか?
そんな事を考えていると、ナナコちゃんは目ざとく筆者を発見したようだ。つかつかと真っすぐこちらに近づいてくる。
こちらの服装もメールで伝えてあったので、今更回れ右してからのマリオばりのBダッシュで逃げ出すわけにもいかない。
こうなったら第一声が肝心だ。さて、なんて語りかけようか?
そうこうしているうちに、ナナコちゃんに先手を取られてしまった。
「あ、あのぉ、ショーイチさんですか?」
すっとぼけようとも思ったが、名指しされてしまってはそうもいかない。たった今彼女の存在に気が付いたフリをして「うん」と答える。
「はぁ、良かったぁ。優しそうなイケメンで」
な、なぬぅぅぅ?
今、なんて言った? もう一度大きな声で言ってみて! そう言いたくなってしまった。
社交辞令というのは百も承知だ。しかし、面と向かってイケメンと言われて悪い気はしない。
筆者がイケメンと呼ばれるのは3年振りくらいのこと。世の中にはイケメンスカウターが故障している女性も、少ないながら存在しているのだ。
きゅうん♪
途端にナナコちゃんが可愛く見えてしまう。
人生の大半を「自己暗示」で生き抜いてきた筆者。いつも根拠はないが、「大丈夫、大丈夫」と自己暗示で難局を乗り切ってきた。
だからこそ、自分に対するプラスの評価はそのまま暗示となってしまう。
最後まで優しいイケメンでいなければ!
義務感に駆られてしまった。
だが、天童よしみ似のナナコちゃんに「可愛いね」とはたとえお世辞でも言えない。
「あ、ありがとう。それじゃあ、このままホテルに向かうってことでいいかな?」
「はい! もちろんです」
こうしてイケフクロウを後にしてホテル街に向かって歩き始める。
その道中、職場や住んでいる地域などといった無難な会話に終始する。こちらの個人情報をできるだけ明かしたくなかったので、筆者は聞き役に専念する。
そして、池袋北口近辺でよく利用する激安ラブホテルにチェックイン。
狭い室内でふたりきりになると、途端に決心が揺らいでしまった。