ラッシャーみよしの「エロ業界栄枯盛衰物語」第8回:1984年

AV革命! 本番OK・女優売りビデオの登場

avkakumei_f.jpg田所裕美子がいなければ、今日のAVがなかったといわれる

 さてさて、84年というとAVの話なのです。AVは、その歴史28年。81年5月に発売された竹村祐佳の『ビニ本の女 秘奥覗き』(日本ビデオ映像)、青野梨魔の『OLのワレメ白書・熟れた秘園』(日本ビデオ映像)が最初の作品と言われており、もっと初期の頃は海外ポルノやエロ映画のビデオ版という体では存在していたものの、オリジナル作品ではありませんでした。AVが話題になり始めたのは、82年に始まったシリーズ『ドキュメントザ・オナニー』(代々木忠監督)あたりからですかね。

avkakumei_02.jpg当時は華の女子大生だった

 作品が発売された当時は非常にドキドキしたものでしたが、しかし皆さん、この頃のAVには本番がなかったのですぞ! もちろん、フェラもない!


 こういうのが、歴史をお勉強する際の醍醐味なんですね。友人の歴史の先生いわく、最初の授業で学生たちにまず問いかけるのが「携帯電話のない時代に生まれたらどんな生活を送っていますか?」というものだそうです。続いて、先生はこう言います。

「想像力を働かせましょう。それが歴史という学問なのです」と。

 というわけで、我々も想像力を働かせながら当時にタイムトリップしたいと思います。今やAVといえば、フェラ、本番当たり前。アナルだって、潮吹きだってなんでもありです。それを当然と思っている時代からわずか20数年戻るだけで、それらのすべてが「ありえない」ことだったんですね。

 ところが今回のテーマである84年は、そんな時代にドーンと風穴をあけた、AV業界にとっての画期的な年だったのです!

 宇宙企画。81年にビニ本からAVに鞍替えした有名なAVメーカーですが、同年の1月に発売した田所裕美子の『ミス本番 裕美子19歳』が大ヒットを記録します。本番ですよ、本番! 女の子がカメラの前でパコパコとセックスをしているビデオ。

avkakumei_03.jpgヌードがプロフェッショナルなものだった当時、
田所裕美子の素人っぽさが、逆に新鮮だった

 この後、竹下ゆかりの『私を女優にして下さい「何でもします」』や、85年早川愛美の『ヒロイン愛美』など、宇宙企画は続々ヒットを飛ばすことになりますが、このメーカーが作った美少女×本番という路線がその後のAVの基本的路線となっていったわけですね。

 そして、美少女AVのヒットは、路線を確定しただけではなく、エロ業界にまた別の変化をもたらしました。

 女優に名前がついた!

 当たり前のことのようでいて実は、革命的なことでした。それまでの女優、あるいはヌードモデルは、雑誌やAVに出演するたびに制作者から「聖子」や「明菜」などと勝手な名前をつけられていたので、見るたびに違う名前。要するに女優はオナニーするための道具であり、個人としてのアイデンティティーは求められていなかったのです。それが、美少女路線ができあがるとともに女優に芸名ができ、人格が生まれた。

avkakumei_vhs.jpg田所裕美子『ミス本番
裕美子18歳』

 女優でAVを売る時代がやってきたわけです。

 それとともに、AV専門のモデルプロダクションも生まれました。

 それまでの女優たちは個人にマネージメントされていたので、ぼくなんかいつも、新宿の喫茶店でパンチ・パーマの怖そうなおっさん相手に出演料の交渉をしていました。それがいつの間にかプロダクションを相手にすることになり、事務所に行ってみてビックリ。ここはホリプロ? みたいな感じで、まるで芸能プロダクションなんですね。で、言うことも芸能プロみたい(笑)。

「体位は正常位だけね。えっ、バック? あんたね、何考えてんの? 動物の体位なんかやらせるわけないでしょ!」

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