【平成風俗史】風俗から悲壮感を排除した、明るく楽しい風俗の誕生

 風俗なのに挿入はNG、挿入NGなんだけどOKな店もある? という外国人には理解できない独自の進化を遂げたニッポンの“ガラパゴス風俗”。

 その歴史を、平成から令和に変わる“日本人にとって歴史の狭間”となる2019年のゴールデンウィークに振り返る短期集中連載!


<注>※歴史には諸説あり、ここに書かれていることがすべて事実とは限らない。

 

第4回:風俗から悲壮感を排除した、明るく楽しい風俗の誕生


 昭和53年(1978年)、売春防止法施行を機に急増したトルコ風呂と、大阪万博後に急増したピンサロ、それまでは主にその二つしかなかった風俗界に、一筋の光が射した。

 その場所は、東京でも大阪でもない、京都にある1軒の喫茶店だった。そこの店主がひらめいたアイディアが、その後の日本の風俗を「暗」から「明」へ大変革を起こす。

 その喫茶店こそ、京都・西加茂の「ジャーニー」。ウエイトレスをノーパンで接客させるという、単純でしかもエポックメイキングなサービスを打ち出した、「ノーパン喫茶」1号店だ!

 

※イメージ画像


 ノーパン喫茶の起源は様々だが、筆者が調べた限りでは、この「ジャーニー」こそが起源と思われる。こののち、昭和55年に同じ京都のノーパン喫茶「モンローウォーク」が開業。そして、大阪の「あべのスキャンダル」へと続いた。

 ノーパン喫茶といえば大阪の「あべのスキャンダル」が有名だったが、発祥は異なる。同店が有名になった理由は、テレビや雑誌等でセンセーショナルに報道された、ウエイトレスの過激な衣装やハデな演出にあった。

 もはやスカートとは呼べない、股間を隠すだけの小さなエプロンを身にまとった若い女のコが、ノーパンノーブラの扇情的な姿で客の前で音楽に合わせて踊る光景は、50歳以上の読者なら記憶の片隅に残っているに違いない。

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