明治35年4月、監督官庁から現場の教師まで、教育関係者をあわてさせる事件が起こった。問題となったのは、高等女学校で使用されている国語の教科書、『女子国語読本』であった。著者は歌人および国文学者として有名な落合直文。発行は前年の2月で、当然ながら当局による厳しい検定もパスしていた。
ところが、この教科書がその後の検定によって、「不穏の記事一節あること」が発見された。その一節とは、石川雅望(いしかわ・まさもち)の著書『都の手ぶり』からの次の引用である。
「さてそこを出ててさまよひあるくに、佐々木の家の幕じるしかとおもふばかりなる紋つけたる軒あり。薬ひさぐにや、長命帆ばしらなど、金字に、だみたるふだをかけたり。長命とは不死の薬なるべし。帆ばしらとはなにならん。もしくは風の薬をいえるなぞなぞにや。かかるむずかしげなる薬さえ、そのこころえて買う人のあればこそ、なりはひとなして世をわたるなめれ、といとおかし」
現代語訳
「さて、そのあたりを歩き回ってみると、近江・佐々木氏の旗かと見まちがうような家紋を掲げた店がある。どうやら薬を販売する店舗のようで、金色の字で『長命』とか『帆柱』などと書かれた、派手な札がかかっている。『長命』とは不老不死の薬だろう。『帆柱』とは、はて、何のことだろう。もしかしたら、(『風』と『風邪』をかけた)風邪薬のことを示した謎かけかもしれない。こんなよくわからない薬でも、その効能をキチンと理解して買っていく人がいるのだから、商売として続けられているのだろう。なんとも興味深いことである」(橋本玉泉・訳)
一見すると、どこが「不穏」なのかわからないかもしれない。江戸は両国界隈の様子を書いた、ごく普通のエッセイである。
だが、実はここに記されている薬を売る店とは、江戸時代の有名なアダルトショップ「四ツ目屋」なのだ。佐々木の家とは、近江国(現・滋賀県)の武家、佐々木家のこと。両国あたりでその佐々木氏の家紋である四つ目結を掲げていた店といったら、アダルト関係に詳しい人なら四つ目屋だとすぐにピンとくる。
しかも、『長命』とは長命丸、『帆はしら』とは帆柱丸のことで、いずれも有名な精力増強剤である。さらに、「帆柱」とは男性自身、ペニスの異称でもある。
こんな精力剤のことなどが、あろうことか女子校向けの教科書に載っていたことがわかったわけである。この事実が発覚すると、同教科書はすでに島根、岩手、紙が、静岡の4県で使用が許可されていたため、世間は大騒ぎとなった。新聞各紙は「四ツ目屋事件」として連日報道。文部省(現・文部科学省)は出版社に訂正と回収を命じる一方、文部大臣が全国高等女学校長会議で謝罪したり、文部省の担当課長がけん責を受けたり、中学校長会議で問題になったりと、教育関係は混乱。さらに世間も「文部省の検定官が悪い。責任を取れ」「いや、著者の責任こそ重い」「出版社はどうなのだ」などと、責任の所在を追及する意見が飛び交った。
そのひとり、著者の落合直文だが、新聞紙上で「四つ目屋というものをよく知らなかった」と弁解した。
この事件についてはいろいろな指摘や意見が多かったが、俳人の正岡子規は「著者及び審査官の無学といふ事である」と、アカデミックに偏った傾向を批判した。
ちなみに、騒動のもとになった文章を書いた石川雅望とは江戸時代に活躍した人物で、宿屋の息子に生まれながら学究心が旺盛で、狂歌から国学の著作までじつに幅広い執筆をしている。上掲の石川雅望も文章もよく読めば、ユーモアとウイットに富んだ味わいある文章だとすぐにわかる。雅望が四つ目屋について、熟知していたことは推察できる。その上で、「長命っていうくらいだから、不老不死の薬だよなあ」とか、「帆柱って、なんだろーね」ととぼけてみせたのである。そのあたりを知っていたからこそ、「ちゃんとわかっていて、買っていく人がいるんだよ」と書いているわけである。
まあ、学者先生とか霞ヶ関のお役人とかは、100年以上経った現在でも、世間知らずで頭の固い連中ばかりである。子規先生も草葉の陰から、さぞかし後発の「無学」を嘆いていらっしゃることではなかろうか。
(文=橋本玉泉)