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江戸の街には「10代ヤリマン少女」と「非モテ男子」があふれていた


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※イメージ画像 photo by TNTs Photography from flickr

 江戸時代といえば儒教道徳が一般的だったことはよく知られているが、現在の人々が当時を誤解している点も少なくない。たとえば、『論語』にある「男女七歳にして席を同じうせず」などはその例の一つで、これを「7歳になったら男と女を同じ場所に同席させるべきではない」という意味であると決めつけて、孔先生も男女は別々に離すべきだと考えていた、などと得意げに語る向きは多い。

 しかし、最近の研究では原文をそのままに「同じ席としない」つまり、同じ敷物や座布団上で遊ばせていた子供たちを、7歳になったら個別の座席に座らせたほうがよいという解釈が主流となっているようだ。つまり、幼稚園などでカーペットの上で遊んでいた子供たちが、小学校に上がって一人ずつ個々の机と椅子が与えられていることが、すでに「席を同じうせず」という状況である。そう解釈すれば、男女を別にして離せなどという考えは、このフレーズにはどこにもないのである。

 さて、実際の江戸時代の男女はどうだったかというと、恋愛もセックスもかなり自由奔放であったことが数々の資料によって残されている。

 江戸期においては、女性は初潮がきて陰毛が生えそろえば、もう大人の女性とみなされたようだ。身体が出来上がっていて、しかもティーンともなれば恋愛やセックスへの関心も急速に高まる時期である。さらに、日本ではセックスについてとても寛容である。処女を特別視する考えなど明治時代以前にはカケラもなく、「セックスした娘は傷物」などという認識などはどこにもなかったのである。

 実際、当時の10代女子はセックスに対して極めて積極的だったようだ。男と知り合ってほどなくセックスするなどということは、ごく普通に行われていたようだ。そうなると、未婚女性の妊娠も増加する。そこで江戸の街には、「中条流」なるものが林立した。この中条流または中条とは、妊娠中絶が専門の漢方医のこと。当時の川柳にも「中条の門に立っているのが相手」などという作品がある。相手の男を付き添いにするために中柔流医院の前に待たせてあるというわけである。

 このように、女性たちは10代前半からセックスの経験をさんざん重ねていたわけである。当時は17歳くらいまでに結婚する女性が多かったというが、それまでにすでにひと通りどころか十分な経験と知識を蓄えていたのである。

 一方、男のほうは女性のように勝手気ままにセックスを楽しむというわけにはいかなかった。まず、江戸の街は男女比で女性の数が少なかった。江戸中期ですら、男性の数が38万人程度に対して、女性の数が13万人ほど。さらに、モテる男はいわゆるイケメンやテクニックの長けた男たちに集中したため、あぶれた男たちが街中にゴロゴロしていた。そうした非モテ男子たちが、そのうっぷんを川柳に遺したり、あるいはフーゾクに走って梅毒に冒されたりという事態が頻出したという。

 その後、江戸後期の天明年間になってようやく女性の数が男性を上回るようになった。だが、それでも非モテ男子の状況が改善されることはほとんどなかったらしい。非モテとは、この頃からの社会現象として日本歴史の問題のひとつなのかもしれない。
(文=橋本玉泉)


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