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美川憲一「社長と関係が悪化し独立」は第2の小林幸子騒動に発展か


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※イメージ画像:『美川憲一全曲集』日本クラウン

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします。

 歌手の美川憲一が約25年間所属した「エービープロモーション」を独立することが分かり、騒動になっている。原因は、美川のギャラや社員の給料の遅配、それに取引関係の未払いなどから、事務所社長のA氏との関係が悪化したというもの。美川は社員6人を連れて、独立するという。

 美川は、1966年に「柳ヶ瀬ブルース」の大ヒットでブレークしたが、デビュ―当初は“オネエキャラ”ではなく、性的指向を隠して、“美少年キャラ”で売っていたために、ファンも「美川はオカマではない」と信じて疑わなかった。ところが新宿2丁目界隈では、美川がオカマだということは周知の事実だった。美川はデビュー後、新宿末広亭の近くで『ろくでなし』というスナックを経営していた。店ではオネエ言葉で客と会話。筆者も当時は常連客の一人だったので、彼がオカマであることを知っていた。

 ある日のこと、筆者が店に行くと、美川がいきなり、「帰ってよ。本多もSの仲間だろ!」と言ってすごい剣幕で追い返された。初めは何が何だか訳が分からなかったが、翌日、すでに休刊になった女性誌「微笑」(祥伝社)で、筆者の同僚であるS記者が美川と一夜を共にしたという“体験記事”が掲載された。「微笑」が文字通り“体を張って”美川の秘密を暴露したわけだが、美川からすれば、筆者もグルだと思ったようだ。その後、美川は開き直ったのか、“オネエキャラ”に変身した。それが、今日への成功につながっているわけだから、「微笑」の記事はいいきっかけとなったわけだ。

 美川といえば“カツラ疑惑”も根強く残っていた。筆者は、美川の自宅に泊まるほど仲がいい親しい友人から「ケン坊はお風呂に入る時、風呂場に厳重なカギをかけて、誰も中に入れないようにする。頭を見られたくないのよ」という話を聞いた。この疑惑は今でも疑惑のままなのだから、美川のガードの固さも立派なものだ。

 美川はその後、2度にわたる大麻取締法違反による逮捕でつまずいた。その後、歌手として低迷を続ける美川を救ったのは「エービープロモーション」の先代の社長だったBさんだ。美川はBさんの尽力で復活。コロッケによるものまねが話題になったこともあって紅白にも再び出場。小林幸子との衣装対決が話題となり、新たなヒット曲もないのに、2009年まで連続出場を果たした。

 これらは、すべてBさんの力だ。筆者もBさんに会って、美川のプロモートへの協力を依頼されたことがあった。それから、しばらく経ってから、Bさんは急死した。「エービープロモーション」を誰が継ぐかでトラブルになった記憶があるが、最終的には美川のマネージャーを務めていたA氏が継ぐことになったようだ。

 A社長は、Bさんが引いた路線を歩んできた。にもかからず、ギャラや給料遅配とは。美川が“営業”で稼いでいることは間違いなく、比較的リスクが少ないビジネスのため、資金がショートすることは少ないはずだが……。美川とA社長との間で、いったい何があったのか知りたいものだ。一部では、“泥沼解任騒動”を起こした小林幸子のケースと同類視する向きもあるが、それまで支えてくれたスタッフを“私情”で切るほど美川は単純な人間ではないと思う。美川の口からの説明が待たれる。
(文=本多圭)


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