単なる自己防衛!? 江原啓之「オセロ・中島」について語る

※イメージ画像:『すべての災厄をはねのける スピリチュアル・パワー
ブック』
著:江原啓之/中央公論新社

 12日に発売された「週刊現代」(講談社)で、スピリチュアリストの江原啓之が洗脳騒動の渦中にあるオセロの中島知子について語っている。その中で江原は、騒動の本質は洗脳云々ではなく依存心だと力説。中島の問題について、「巨大なカルト組織と個人、という構図ではない」と指摘する彼は、「人には信じる権利がある」と言い、中島は被害者ではないと断言している。確かに、中島が自ら望んで自称・占い師と一緒に過ごしているのを他の誰かが咎めることはできないだろう。江原の言葉は至極まともだといえる。しかし、その記事を読み進めていくと、彼の自己保身が見え隠れする。

 記事の中で江原は憲法を引き合いに出しながら「人には信じる権利がある」と語る。つまり彼は「誰が何を信じようとも、それを否定することはできない」と言っている。こう書くと当たり前のことだが、深く読めば彼のこの言葉に「私のことは信じてください」という文字が隠されている気がしてくる。そしてさらに深読みすれば、「信じたあなたが悪い」と言っているようにさえ聞こえてくる。実際、中島の問題についても、世間の論調や芸能人たちが「中島は被害者」と言っているにもかかわらず、彼は「中島は被害者ではない」という。なぜわれわれが中島を被害者だと思うのに、江原は「中島は被害者ではない」と断言するのか。

 それはきっと、江原がスピリチュアリストだからだろう。スピリチュアリストとは、スピリチュアリズムを実践している人のこと。つまり、「人間の魂は肉体の死後も生き続け、死者の霊と交信することができる」と信じている人だ。いわば人の目に見えない霊的なものの存在を肯定し、それを人々に伝えることで感謝されたり有難がられたりして飯を食っている人といえる。そんな彼であるから、”目に見えないもの”を信じる人の気持ちを否定するわけにはいかない。つまり、占い師の言葉を信じていると思われる今の中島は彼にとって、同じ精神世界に住む人間、被害者ではないというわけだ。

 中島を被害者としてしまえば、自らの存在を否定するものと考えた(と思われる)江原は、「家賃を滞納された大家さんなり管理会社」が被害者だという。これまた至極ごもっともな意見。実質的に損害を受けている関係者を本当の被害者というのだから頷くしかない。

 そして中島の母が「(占い師を)裁いてほしい」と言ったことに対して、「いかがなものでしょう」と苦言を呈し「その前に(大家である)本木(雅弘)さんに会いにいって、謝罪をして弁償するのが筋」だと指摘する江原。確かにこの言葉もまったくもって正論といえるだろう。しかし、娘を奪われた母がその張本人を「裁いてほしい」と言いたくなる気持ちに対し、彼は何とも思わないのだろうか。そして、そんな苦境にある母に向かって「まずは金を払ってから」と言う江原の言動には血も涙も感じられない。それはまるで冷徹な悪徳弁護士のような言葉のようだ。

 江原の言葉はとにかく正論ばかりである。そしてそんな彼の言葉は、魂の声が聞こえるスピリチュアリストを名乗っていながら心に響かないものばかりだ。その矛盾は、前述したように、同類が同類を批判しようとしたところから生じているに違いない。だが、思い返してみれば、以前メディアに引っ張りだこだったころから、江原は正論ばかりを振りかざすスピリチュアリストだった。

 2007年8月に放送された『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』(フジテレビ系)という番組で、江原は不運にも交通事故で亡くなった幼稚園児たちの声をその親御さんに伝えている。そして子供たちの魂の声が聞こえるという彼は一言「みんな仲良く――」と呟く。

 子供を亡くしたという深い悲しみに、父と母の間に微妙なズレが生じてしまったことは想像できる。言い争いになったり、仲が悪くなるということはあるだろう。江原はそんな状況を子供たちは見ているといい、先の言葉を伝えた。そして両親らは子供たちが今でも側にいると感じ涙した。もちろん江原のこの言葉に癒された親もいるだろう。しかし「みんな仲良く」とはあまりにも当たり前ではないだろうか。実際に亡くなった人がいるので、言い方は難しいが、正直に言って記者には、それが子供たちの魂の声には思えない。不運な事故で亡くなった人々は、「なんで私なの?」と悔しがっているのではないだろうか。

 しかし、魂の声が聞こえる江原にはそうは聞こえない。完全に車側の過失によって死んだにもかかわらず、子供たちは遺された人々を気遣い「みんな仲良く」と言っているらしい。確かにこの言葉は、子供を亡くした親たちにとっては、前向きな人生を送るための糧になるだろう。死んだあの子が言っているんだから、と多少のいざこざも呑み込めるようになるかもしれない。だが、本当にそれが子供たちの言葉なのかは、その言葉があまりにも正論過ぎるため疑問と言わざるを得ない。もちろん記者にそれを確かめる術はない。しかし、それは江原も同じだろう。彼にだって、それが本当に子供たちの言葉かどうかを証明する術はないのだから。

 そこで江原は、冒頭に記したように、人の信じる権利を主張する。そしてそれは、「お前に騙された」という人間に対しての「あなたが信じたのだから」という責任逃れの決めゼリフに思える。いかに江原が正論を振りかざしても、霊的な存在を扱う限り、「騙された」と主張する輩は出てくるだろう。そういった人々に対して、江原は「あなたが信じたのです」と言うに違いない。だから彼は中島を被害者ではないと言い切るのだ。

 江原は中島と占い師の関係を「依存と依存による『共依存』ではないか」と指摘し、「二人は同罪」という。それもすべては「信じる権利」があるからということだ。魂の声を聞けるというわりに、権利とか責任を重んじる彼の言動が違和感に満ちていると感じるのは記者だけではないだろう。それでも彼は記事の中で、「この占い師はタチの悪い人です。そしてニセモノです」と問題の占い師を批判する。しかしその行間から滲むのは「私はホンモノです」という彼の魂の叫び声だ。そんな彼の魂の声が聞こえてきた記者は、もしかしたらスピリチュアリストの才能があるのかもしれない。江原さん、今度オーラ見ましょうか。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

『スピリチュアル公演ファイナル! スピリチュアル・ギフト~幸せのみつけかた~江原啓之LIVE』

 
イワシの頭も信心から?

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