放送作家に聞いてみた! 本当に才能ある芸人って誰!?

housousakka1118.jpg※イメージ画像:『放送作家のススメ』

 以前、あるテレビ番組で所ジョージが「努力に勝る才能なし」という言葉を座右の銘として挙げていた。なんとも良い言葉である。しかし、それを語る所ジョージという人間が、とてつもない才能に恵まれていることは誰の目にも明らかなことだ。やはり、人生で大成するにはある程度の才能というのは必要なのかもしれない。しかし「才能」といっても、その種類はさまざま。プロスポーツ選手になるには屈強な肉体が必要だし、一流モデルになるには抜群のスタイルと端麗な容姿が不可欠だ。そこで、今回の記事ではお笑い芸人の才能について言及したい。彼らと仕事を共にする機会の多いバラエティー放送作家数人から具体的芸名とその理由について話を聞けたので記事にしたいと思う。

 放送作家との談話の中で、もっとも多くその才能について触れられたのは劇団ひとりだった。その理由として、ある放送作家は彼の「手を抜かない姿勢」という点を挙げる。特に、劇団がメインMCを務める『ゴッドタン』(テレビ東京系)などでは、企画の段階からスタッフと入念な打ち合わせを行い、一切妥協しないという。また、改変期ごとに放送される『イロモネア』(TBS系)に出演する際には、専門の作家と一緒に無数のネタを考え、その中から選りすぐりのものをテレビで披露するのだという。ともすれば、なあなあになりがちなひな壇出演の際も、事前の下調べと準備は常に万端で、笑いのセンスも抜群ながら、彼の手を抜かない姿勢はとんでもない才能だというわけだ。

 また、麒麟の川島明も多くの放送作家が一目置く才能の持ち主だという。大阪NSC在学中から講師陣に才能を認められていたという川島は、田村裕とコンビを結成する直前まで放送作家への道を考えていたという。そんな川島について、ある放送作家は、「もし作家になっていたら、今よりも売れていたに違いない」と指摘する。川島の変幻自在な視点と少しだけ垣間見える毒気が、バラエティーの作家にピッタリだと言うのだ。芸人としても売れた川島だが、放送作家として活躍していれば、今の倍は稼いだだろうと笑う作家もいた。

 そして、学生時代に学園祭のイベントに参加していた姿が松竹芸能の社員の目にとまり、芸人の道へと進んだますだおかだの増田英彦も、多くの放送作家が才能を認める存在だという。放送作家たちは、増田の飛びぬけた才能を語彙の選択だと指摘する。近頃、ピンでの仕事が多い相方の岡田圭右と違って、全国区での露出が少なくなってきた感のある増田だが、時折露見する呟くようなボケは、関係者もうならせる秀逸なものだという。確かに、『IPPON GP』(フジテレビ系)のような大喜利番組に出演する増田の姿は見てみたい。同番組で、飛びぬけた才能を披露しているバカリズムに勝るとも劣らない才能が増田にはあるのかもしれない。

 さらに、放送作家たちからは才能を感じさせる芸人として、トータルテンボスの大村朋宏やロバートの秋山竜次などの名前が挙がった。もちろん、ここで挙げた芸人たちはみなそれぞれ売れているわけで、才能がないと指摘するのがもともと無理な話だ。また、読者の中には以上の指摘に反発する声も多いだろう。あくまでも、バラエティの放送作家的見地を元に示した「才能ある芸人」として楽しんでもらいたい。

 生まれながらにそれらの才能を持っていても、磨くことを怠れば、その才能が開くことはない。才能+努力というのが大切なことだ。ただ、アスリートなどと違って、どんな才能であっても、努力を怠らずにいて、運とタイミングが合えば売れるのがお笑い芸人という職業といえる。上記した内容からもわかるとおり、芸人の才能とは非常に抽象的なものだ。足の速さや肩の強さのように数値化できない才能は、とりあえずやってみるしかない。自らの記事を否定するようだが、才能のないことすら才能になってしまうのが、お笑い芸人という人々。そんな世界で活躍する人々は、みな誰もが才能豊かといえる。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』

 
放送作家でこうも変わる?

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