伝説のアイドルグループ「セイントフォー」の元メンバー・濱田のり子がアイドル全盛時代を語る!

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 1980年代に活躍した伝説のアイドルグループ「セイントフォー」の元メンバー・濱田のり子が、10月14日にセクシーDVD『ONE PARIS NIGHT』(キングダム/税込3,990円)を発売する。セイントフォーは40億円をかけた大プロモーションによって売り出され、レオタード姿とバック転などのアクションを取り入れたアクロバティックなパフォーマンスで話題となった。人気声優・岩男潤子(当時は『いわお潤』名義)が一時所属していたことでも知られている。

 デビュー当時は同じ新人の中山美穂、浅香唯、南野陽子、斉藤由貴、本田美奈子らとしのぎを削るほどの人気を誇ったが、所属事務所とレコード会社の間で起こったトラブルが原因となり、活動期間2年ほどでグループは解散。大人の事情に振り回された悲劇のアイドルグループであったが、現在も根強いファンが多い。

 セイントフォー解散後は写真集やDVDでオールヌードを披露してセクシー路線にも挑戦してきた濱田を直撃し、当時のエピソードなどを聴いた。

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──セイントフォーはトラブルで活動できなかった時期も含めて2年という短い期間だったのに、いまだに熱狂的なファンがいるグループですね。

そうなんです。今でもセイントフォーの曲を聴きながら通勤しているというファンの方もいるくらいなんですよ。歌の途中でバック転とかをするグループだったんですけど、「成功しますように」って祈りながら見てくれてたファンたちなので結束は強いですね。いまだにファン同士の付き合いがあるって聞いてます。

──セイントフォーは2年間のレッスンを経てデビューという形でしたが、その当時はどういう生活だったんですか?

朝起きてから1時間くらいジョギングして、それから深夜までレッスンという生活でした。本当に厳しかったです。

──厳しいレッスン生活というと、ピンクレディーのような感じだったんですか?

アクションの練習が多かったので、ピンクレディーというより、JAC(※千葉真一が設立したアクション俳優中心の事務所)に近いですね(笑)。補助器具を付けてマットの上でバック転や側転の練習をしたり、さらにボイストレーニングとかもやって。一日中レッスンで、終わると本当にクタクタ。軍隊みたいな生活でした。

──アイドルとしてデビューするのに、何でバック転の練習をしてるんだろう?って疑問に思ったりはしませんでした?

私は体育が大嫌いだったし、ファンだったキャンディーズみたいなフリフリの衣装を着たかったんですけど。なのに毎日、レオタードを着てアクションの練習をして……。何でこんなことやってるんだろうって思ったこともありました。

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──アイドルとしては、かなり異色でしたね。

イベントで他のアイドルたちと一緒になると、みんな楽屋で楽しそうに話をしているんですよ。でも、私たちはケガをしないようにって緊張しながら、準備体操でアキレス腱を伸ばしたりしてて。レオタードを着てるのも私たちだけだし、みんなから「あの子たち何なんだろう」って思われてたかも。

──本当はアクションはあまりやりたくなかった?

ライブ会場の天井が低いと、宙返りをしなくていいんですよ。だから、いつも「今日のイベントは天井の低い場所でありますように……」って祈ってました(笑)。

──天井の高さを気にするアイドルというのは、かなり珍しいです(笑)。デビュー後は多くのアイドルと共演されていましたが、男性アイドルから誘われたりなんてことはあったんでしょうか?

実は多かったんですよ。地方のイベントの時に、男性アイドルのマネジャーから連絡がきて「電話番号を教えてください」とか。

──当時のトップアイドルからも誘われたらしいですね。

アイドルのTさんから誘われたことはありました。高校時代から彼のファンクラブに入っていて、デビュー後に出演したテレビ番組でも、Tさんの前で「大好きなんです!」って言っちゃたくらいファンだったんです。だから、本当に嬉しかった。あるイベントでご一緒した時に、マネジャーから「Tが電話番号を知りたがっています」って連絡がきて驚きました。ファンだった人から電話番号を聞かれるなんて、あり得ないことですよ。

──お付き合いにまで発展したんですか?

それから電話で話すようになったんですけど、Tさんから「俺と付き合いたいなら、もっとビッグになれ」って言われて、その言葉で一気に醒めちゃいました(笑)。それからは連絡してないです。

──Tさんは確かにトップアイドルでしたけど、交際相手のネームバリューまで気にするものなんですねえ……。ちなみに、セイントフォーは恋愛禁止だったんですか?

禁止でした。恋愛どころかオシャレも禁止で、普段からメイクもダメ、アイラインもダメ、ジーンズが基本でミニスカートを履いたら怒られましたから(笑)。「汗が売りのグループ」だからということだったんですけど、年頃だから化粧とかしたいじゃないですか。だから、こっそりトイレでアイシャドウを入れたりするんですけど、リーダーに見つかって叱られたりしました。

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──最近だとAKB48も恋愛禁止で、発覚したら脱退しなくてはならないというルールになっていますが、彼女たちは恋愛してないと思います?

うーん、本当に守ってるのかなー? 今は携帯電話があるから直接連絡できるし、恋愛がない方が不思議って気もしますけどね。

──恋愛禁止というのは、年頃の女の子にとってはつらかったんじゃないですか?

恋愛がどうこうよりも、目の前の仕事をこなすことで精いっぱいでした。ずっと一般社会と隔絶した芸能界で過ごしてきたから、解散してからの方がつらかったです。電車の乗り方すら分からないし、一人じゃ何にもできない。事務所が決めたレールに従ってがむしゃらに走っていただけだったから、それがなくなった時は本当に怖かったし、解散後は社会になじむためにバイトも経験しました。

──今のアイドルたちも、同じような苦悩をする可能性があると思いますか?

うーん、今の子たちは色んな知識を持ってるし、昔とは違うんじゃないかな。「何年後はこうしよう」とか「いつグループを抜けようか」とか、先のことを見据えてると思う。そういう面で賢い感じがしますね。

──恋愛もオシャレも我慢して、厳しいレッスンを耐えながら活動していたのに、大人の事情で解散というのは悲劇でしたね。

本当に悔しかったですよー!! ファンの人達に対しても申し訳なくて……。セイントフォーが中途半端に終わってしまって申し訳ないという気持ちがあったから、解散後も私は芸能界で活動を続けていきたいと思ったんです。

──ヌードにも挑戦されてきましたが、元アイドルが脱ぐということについては抵抗ありませんでしたか?

もちろん、ありましたよ。最初のころは恥ずかしくて、いかに身体を隠そうかってことばかり考えてました。でも、できあがった写真を見た時に、そういうのは良くないなって思ったんです。それからは「いかにキレイに写るか」ということしか考えなくなりました。やっぱり、「中途半端なものはいけない」って。

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──ヌードになってからも、精力的に活動されていますね。

30代でヌードを出した時に、セイントフォー時代の関係者とバッタリ会ったんですよ。その人から「脱いだの見たよ。脱いだらもう終わりだね。来年、再来年くらいには君は消えてる」って言われたんです。それを聞いて「やってやろうじゃん!」って思って、写真集を出し続けて行こうと思ったんです。

──そう思ったとしても、続けられる人間は限られてきますから、立派だと思います。

今までに写真集は9冊、今回のようなDVDも出せることになりましたし、これだけ続けられてきたのは自分でもビックリです。

──今回のDVDの撮影は、なぜフランス・パリだったんでしょうか?

hamada_jake.jpg※DVD最新作『濱田のり子 ONE PARIS NIGHT』は10月14日発売!

パリが好きなんです(笑)。写真集の撮影をした時に、パリの雰囲気がすごく合ったんですよね。DVDは結構過激な内容になってるんですけど、パリの刺激的な空気に押されて、あんなこともこんなこともヤッちゃった! ってところはあります(笑)。

──セイントフォーのファンだった人達にとっては、濱田さんがヌードになるのは複雑な感情もありそうですが?

こういうのを見たくないってファンも、当然いるとは思います。でも、今の私を見てほしいという気持ちの方が強いです。セイントフォーは私の中でも本当に大切なものですけど、それを引きずっているだけではない今の濱田のり子も見てほしいなと。

──セイントフォーのメンバーとは今も交流があるんでしょうか?

解散コンサートは3人(※メンバー脱退により)だったんですけど、そのメンバーたちとは今でも交流があります。3人で集まると「私たちで解散までやったよね」って思いだして涙が出ちゃう時があるし、私が「死ぬ前に思い出すのはセイントフォーのことかもね」って言ったら、みんな同じ気持ちだった。セイントフォーで培ったものは今も私の根っこになっているし、とても大きな存在です。

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──今でもセイントフォーが好きなファンも多いですし、メンバー間の交流があるなら、新宿ロフトプラスワンとかでトークイベントをやったら盛り上がるんじゃないですか?「一夜限りのセイントフォー復活!」みたいな感じで。

それ、やりたい! 今でもファンでいてくれる人達と交流できれば嬉しいですし、みんなで当時のことを語り合いたいですね。
(取材・文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

■濱田のり子(はまだ・のりこ)
1965年2月22日生まれ。埼玉県出身。B80㎝・W58㎝・H84㎝。
1984年にセイントフォーのリードボーカルとしてデビュー。グループ解散後、同じメンバーだった鈴木幸恵とのユニット・ピンクジャガー、ロックバンド・CHABACCOを経て、以後は女優業中心に活躍。1995年からグラビアにも進出し、現在までに9冊の写真集を発売。岐阜放送のラジオ番組「濱田のり子のノリノリたいむ」のパーソナリティーを務めている。

■濱田のり子オフィシャルブログ「ハートのおもてなし」はこちら

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