【連載】第7回 レズビアンの若干憂鬱な日常

ありがちな誤解? レズビアンは「男性的」ではない

dansoureijin0728.jpg※画像は『男装麗人 第三章』/深海より

 人それぞれ違う「常識」がある。常識とは自分をとりまく環境の中での共通認識であるから、これは当然のことだ。国により、地域により、会社や学校により、家庭により……所属するコミュニティによって、常識はかなり違ってくる。しかし、同じコミュニティの中で変化のない生活を送っていると、やがて自分の常識が世界の常識であるかのように勘違いしてしまうことも、しばしば起こるのではないだろうか。

 例をあげれば、私の実家は食事時、牛乳をお茶のように飲んでいた。カレーなどの時くらいだったらまだ普通なのかもしれないが、たとえご飯のおかずが焼き魚でも、天ぷらでも牛乳だった。これが「常識」ではないと知ったのは、進学して家を出てからだった。遊びに来た友人に食事と一緒に牛乳を出し、ものすごく変な顔をされてようやく気付いたのだ。

 このように、常識が変わる時とは、別の常識を持つ人に出会ったときである。自分とは違う環境に居る、もしくは居た人と関わってみて初めて、自分の認識が一般的ではないかもしれないという可能性に気付く。

 前置きが長くなった。しかし、このように長々と書いたのには理由がある。

「レズビアンなら、いずれ手術なんかして、男になる予定なんですか?」

 メンズサイゾーに掲載されてしばらくしてから、読者の方の中にそんな質問をくれた人がいた。もちろん、違います、と答えた。私はレズビアンだが性の自己認識は女性で、FtM(=身体的には女性だが、性自認が男性である人)ではないから、と説明した。

「じゃあ、男みたいな格好をしたり?」

 だから違うのだ。確かにボーイッシュな格好は嫌いではないが、それと男性の装いをすることとは意味合いが全く異なってくる。

「なるほど、嶋さんは見た目だけなら普通の女性と変わらないんですね。男装しないレズビアンって珍しいですね」

 いえ、日本でも世界的に見ても男装しないレズビアンの方が圧倒的に多いんですよ、と言いながら、私はとても驚くと同時に、セクシュアリティというものを理解してもらうことの難しさを実感した。

 私はこの読者の方とお話をするまで、「レズビアンは男性的である」「レズビアンとは男性になりたがっている女性である」と考えられていたのはひと昔前のことだ、という感覚があった。実際、今までこのような考え方を持つ人に直接出会ったことはなかった。しかし、思えば私がLGBT(=レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーのこと。”セクシュアルマイノリティ”がもう少し限定的になった概念)関連の話をしたことがあるのは、考え方や年齢層が近い人に限られていた。つまり、あまりにも狭い範囲のことを「常識」であると思い込んでしまっていたのだ。

 カミングアウトしているLGBTと実際に関わったことがある人よりも、ない人の方が圧倒的に多い。LGBTに対して積極的に理解しようとしてくれる人よりも、自分には関係のない世界のことだと思っている人の方がやはりずっと多い。その事実を、頭では分かっていても実感できていなかったのだ。

 連載を始め、くだんの読者の方との出会いがあり、今までの認識が改められた。LGBTと関わりの薄い人にとって、どうやら、レズビアンとFtMとの区別はつきにくいものであるらしいと分かった。ではせっかくなので、ここでレズビアンとFtMとの違いを説明してみようと思う。

 レズビアンは性自認が女性で、恋愛対象が女性である。つまり、「女性として、女性と恋愛をする人」をレズビアンと呼ぶ。それに対してFtMは性自認が男性であるため、その人が女性に恋をしたら「男性として、女性と恋愛をする人」になるのだ。つまり、FtMの恋愛は異性愛だということだ。

 ちなみにこのFtMのことを「男性になりたがっている女性」と認識している人々もかなりいるようだが、それは違う。「なりたがっている」のではなく、もともと精神的には男性なのだ。そのため、FtMがその精神に合致した男性の肉体になるための手術は「性別適合手術」と呼ばれる。「適合」であり、「転換」ではないのだ。

 さて、話は少し変わるが、「男性的なレズビアンは女性的なレズビアンとカップルになる」という認識もあるようだ。だがしかし、これも誤解だと言える。もちろん、そのような人もいるが、そうでない人もいる。どちらも男装を好むレズビアンカップルもいるし、どちらもフェミニンな格好が好きなカップルもいる。ボーイッシュ同士のカップルもいれば、ファッションの好みが全くばらばらのカップルもいる。異性愛者の場合と変わらない。

 また外見とは別に、「男役」「女役」のような役割があるのではないかとも考えられているようだ。それは確かに、ないこともない。例をあげるならば、彼女は虫が苦手で私はさほどでもないから、ゴキブリが出現したときなどは私が率先して退治する。この場合は勇ましい私が「男役」と見られることもあるだろう。しかしまた別の場合、たとえば電球の取り換えなどは彼女の方が背が高いから、彼女がやってくれる。この場合は頼りになる彼女の方が「男役」と見られるかもしれない。しかし、このような役割分担は異性愛者のカップルでもあるのではないかと思う。つまり(当たり前のことだが)、「頼る方が女性(的)」「頼られる方が男性(的)」という図式は成立しないということだ。

 「男性的」「女性的」という考え方は、私たちが普段考えている以上にあいまいで、入り混じっているものなのかもしれない。結局それは、自分の手の届く範囲の「常識」に照らし合わせて判断されるにすぎない。しかし「常識」も前述したように、非常にあいまいなものである。

 「女性だから」「男性だから」という考え方ではなく、「女性的」「男性的」などという見方でもなく、個々の人、ひとりひとりのこととして物事を考えることができたら、それが一番いいのかもしれない。
(文=嶋陶子/レズビアンライターの普通な日々

嶋 陶子(しま・とうこ)
某文系大学卒業後、婦人服の販売員として働いていたが、全く向いていないことを悟って辞職。ライターの道に入る。レズビアンであり、女性パートナーと同棲中。

『男子の格好をしているオンナのコは好きですか? 5』

 
ボーイッシュな子は好きですよ。

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