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湯女のエッチなサービスも

混浴OK、覗き放題......パラダイスだった!? 江戸時代の銭湯事情


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※イメージ画像 photo by Guwashi999 from flickr

 江戸時代、江戸の町では自分の家に内風呂がある庶民はほとんどいなかった。というのも自宅に風呂場を作るには専用の湯殿と井戸が必要だが、江戸は元来、井戸水の出が悪かった。そのため、江戸っ子たちの多くは湯屋(銭湯)を利用し、江戸時代末期になると町内に必ず一軒はあるほど、湯屋は繁盛していた。現在の東京も銭湯が多いのも、その名残りである。

 さて、当時の湯屋は男女混浴が当たり前で、老若男女問わず一緒の風呂に入っていた。
江戸時代の湯屋の間取りは、今の銭湯とあまり変わらず、番台で料金を払って中へ入り、脱衣所に行くというシステムだ。そして男女とも服を脱ぎ、浴場へ行くのだが、痴漢がいなかったというわけではない。中には浴槽で女性の肌に触れようとしたり、威勢のいいおかみさんに手を出して怒られる輩も少なくなかったという。

 こんな物騒な浴槽なので、下級武士の娘が入るときには、護衛のおばさんが痴漢をガードしていたという。そんな用心棒がいない町屋の娘は、物騒だとは重々承知しつつも入浴していた。「物騒と知って合点の入込み湯」なる川柳も残っている。
 
 ちなみに当時の湯屋の浴槽は板で囲われており、蒸気が部屋内にこもっていたので、一種サウナに近い感じだった。入り口は1カ所だけで人の密度も高かったが、当時の湯屋では浴槽に入る際、「冷えもんでございます」「枝が触ります」と挨拶する暗黙のルールがあった。「冷えもんでございます」は「身体の冷えた者が入りますが、もし触れても許してください」という意味で、「枝が触ります」も「もし触ってもお許しください」という断り文句。こんな言葉がマナーとしてあるということは、当時の湯屋は「間違って触れちゃう」ケースが日常茶飯事であったことが推測される。
 
 また、江戸時代初期、湯屋には「湯女」なる女性たちもいて、昼は客の背中を流しているが、夕方を過ぎると性的なサービスを殿方に施していた。この湯女の繁盛で、一時は吉原が衰退するほどだったが、1703年に禁止令が出されてしまい、姿を消した。
 
 そんな江戸時代の混浴風呂も、さすがに風紀上よろしくないとのことで、何度か禁止令が出されて男女の入浴時間帯を別にしたり、浴槽の中央に仕切りを取りつけるなど、男女別風呂になったことがある。しかし、中には男性が堂々と女湯を覗くことができる「覗き穴」がある湯屋もあったという。この覗き穴は、湯上がりの男性たちがくつろぐ憩いの場に用意され、スケベな男たちが穴を通して女性の裸体を堪能していた。こんな穴があったら、女性たちも怒り心頭......と思われるが、女性もこの覗き穴の存在は知っており、それを承知で身体を洗ったり、湯につかっていたりしていたのだ。当時の大和撫子は、自分の裸を見られることには寛容だったのである。

 しかし、男女の混浴は明治の世になってから厳しく規制されるようになり、1890年、「子供でも7歳以上の混浴は禁止」という法令が出され、堂々と混浴ができる時代は終わりを告げたのであった──。


『一度はやりたい銭湯の番台』


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