国民的トルコ風呂の時代 ~ニッポンの風俗史・戦後#6~

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公衆浴場から個室欲情へ


 昭和31年に「売春防止法」が交付された頃、すでに人気の娯楽となっていたトルコ風呂に関して「都内のトルコ風呂では売春が行われている」という噂が立ち始めていた。そしてその噂は、その後のニッポンの風俗を大きく変える「予告」となった。

 昭和33年、日清の「チキンラーメン」が発売され、東京タワーが完成が間近に迫る”ALWAYS”な時代。ニッポンの風俗史上最大の危機といえる「売春防止法」が完全施行され、東京の吉原、大阪の飛田遊郭を始めとする全国の旧遊郭、赤線が、その歴史に幕を下ろすことになった。官報によると、全国で約3万9000軒の業者、従業婦12万人が職を失った。

 吉原では流行のトルコ風呂への転換策が取られたが、大阪の飛田は三業地としての道を選び、全ての遊郭が料亭へと業態を変えたのだった。

 かたや個室浴場、かたや三業地の料亭と、舞台や演出は違っていても、その内容においてはどちらも同じ演目を楽しむための「芝居小屋」となった。

 そして、だれが考えたのか、男性客と女性従業員が瞬時に恋に落ちるファンタジーなラブストーリーは、売防法施行後60年以上が経過しても、いまだに演じられ続けている。おそらく史上最長のロングラン公演となっている。

 

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 昭和33年7月、吉原に最初のトルコ風呂「トルコ吉原」が開店すると、8月には2軒目の「山陽」がそれに続き開店した。

 前々号の本コラム「ニッポンの風俗史・戦後#4」にて、筆者は「パンパンからトルコ風呂に転職した女性は少なくなかったに違いない」と書いたが、どうやら逆だったようだ。

 女性たちがそれを望んだとしても、経営者側はパンパンを雇うことはなかったようだ。その理由は、「売春」に対する懸念だった。当初は”健全サービス”の店だったのだ。

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