国民的トルコ風呂の時代 ~ニッポンの風俗史・戦後#6~

 前述の岩永氏によると、パイズリも同じ時期に登場したとある。当初はイギリスの香水「リリー・オブ・ザ・バレー」にちなんで、「リリー・オン・ザ・ヒル」などと呼ばれていたようだが、現代の直接的な表現の短縮型ネーミングに比べると、かなり抒情的ではあった。

 ちなみに当時のトルコ風呂の料金は、入浴料500円、サービス料はノーマルマッサージが500円、オスペ1500円、ダブルスペシャル2000円、本番が3000円から。サービスの濃厚さは、彼女たちの収入に直結していた。

 この料金システムを見てふと思い出したのは、JKビジネスの裏オプだ。単位は違えど、内容は現代とほぼ同じなのがおもしろい。歴史は繰り返し、風俗史も繰り返すということだ。

 支払いは今と同様に入浴料は店へ、サービス料が女性に支払われていたのだが、マッサージだけして帰っていくケチな客もいて、そんな客は女性たちに陰で「チャリ」と呼ばれていたという。

 5つの100円玉が立てる”チャリン”という音からもじったものらしいが、こういう叙事的な表現も好きだったようだ(笑)。きっと、現代のJKたちも裏では同じような表現をしているに違いない。

 次第にサービスが過激になり、年々増えていくトルコ風呂に対して、好ましい感情を持たない者は少なくない。そんな中、東京オリンピック開催を翌年に控えた昭和38年、永田町の首相官邸裏にトルコ風呂新設の申請が出された。そのことが、当時の首相・佐藤栄作の逆鱗に触れてしまったのだ。

 「風俗営業等取締法の一部を改正する法案」が提出されると、トルコ風呂の新設にブレーキがかかることになった。さらに、東京オリンピック開催に向けて、浄化取り締まりが厳しくなるなど、一転してトルコ風呂に対する逆風が吹き始めたのだ。本番はもちろんご法度となり、サービスはオスぺまでとする店舗が急増した。

 ちなみに、トルコ風呂にエアマットが登場したのもこの頃。当時はまだボディー洗いなどの技はなく、オスペなどに利用されていたようだ。

 それから数年後、川崎堀之内でエアマットを利用したトルコ風呂史上最高のサービス”泡踊り”が開発されるのだが、当時の人々はそんなことが起こると夢にも思っていなかったに違いない。

 続く…。

〈文=松本雷太〉

 

<参考資料>
・『トルコロジー トルコ風呂専門記者の報告』広岡敬一著
・『フーゾク進化論』平凡社新書 岩永文夫著
・『戦後性風俗大系 わが女神たち』小学館 広岡啓一著

men's Pick Up

風俗関連トピック