【風俗嬢・処女喪失話】〇〇としかSEXしたことがない元サーファーギャル

「カリフォルニアに行きたかったの。サーフィンをやってたから、当時、最先端って言われてたし。あとは当時の彼が…」

 
 その彼を思い出して、明菜さんは少し照れた表情を浮かべた。そして、ロストバージンにまつわる話を始めた。

 彼女は1972年に神奈川県横浜市で生まれた。物心ついたころから、同じアパートの住人やクラスメートなど、周囲にはアメリカ人を中心とする外国人がいたという。

 
「高校2年生の夏休みに鎌倉でサーフィンをしていたら、波待ちの時に、たまたま同じブランドのサーフボードを使っているアメリカ人の男の子に声をかけられたの。カトコトの英語と日本語で話して。その時はそれだけ。彼が先に波に乗っちゃったから(笑)」

 
 数日後、明菜さんがサーフショップに顔を出すと、その彼に出くわすことに。彼の名前はジョー、19歳。父親が米軍基地で働いていている関係で来日していた。話は弾み、連絡先を交換すると、さっそくその日の夜、ジョーから電話がかかってきた。そして、基地内で行われる盆踊りに招待された。

 
「私、ピンと来るものがあったんだろうね。すごい気合いを入れて、浴衣で行ったの。基地の中だから目立つし、彼も鼻高々って感じで。それから週末になると土曜日はベース(基地)で遊んで、日曜日は海って生活になったの」

 
 そういった生活の中、明菜さんが刺激を受けたのは、彼はもちろん、基地内の“日本にはないファーストフード店や雑貨”だった。その影響もあり、彼女は10年前に輸入雑貨の店を始めたものの、「2年前に大赤字を抱えて、それで風俗の世界に戻ってきた」と笑った。

 
 「付き合おう」といった言葉こそなかったが、自然なカタチで、気付けばステディな関係になっていた。そして、ふたりの仲は進展する。

 
「ある日、ベースのカフェテリアで彼が飲んでいた飲み物を指して、“Me too(俺も同じ)”って笑ったの。それがチェリーソーダだったの(笑)。私も、恥ずかしかったけど“Me too”って返したの。そして彼が、『今日、ベースの仕事で両親がいないんだ』と自宅に誘ってきたの」

 
 もちろん、明菜さんに拒む理由はなかった。訪れた彼の家は大きな平屋のアメリカンハウスで、部屋は「たぶん誘うつもりだったんだと思う」ほど整理整頓されていたという。

 いきなりで心の準備もできてなかったが、明菜さんは彼にすべてを委ねることにした。すぐに灯りが消され、同時に重なる唇。それまでに彼とのキスはあったが、挨拶でしかなく、これが事実上のファーストキスだった。

 そのままベッドに移り、1枚ずつ服を脱がされた。とてもスムーズで紳士的だったため、恥ずかしさを感じることもなく、「なんだか、外国映画の官能的なワンシーンみたいで興奮した」という。

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