風俗探訪

なぜ「吉原」という名称は生まれたのか?

吉原神社は開運や縁結び、商売繁昌のご利益がある神として華やかな信仰を集めた

 東京・台東区にある「吉原」といえば、江戸時代から続く歴史ある歓楽街としてあまりに有名だ。その起源は江戸時代の元和3年、すなわち1617年までさかのぼる。当時、庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)なる人物が、幕府に遊郭の設置を再三にわたって願い出て、この年にようやく許可が下りたという。そして、江戸市中に散在していた遊女屋を集め、現在の日本橋人形町あたりに約200メートル四方の土地を確保して遊郭として開設した。

現在”吉原”という地名は残されていないものの、電柱には
しっかりと表示されている

 吉原という語の起源は、植物の葦(あし)が覆い茂っていたため、その地を「葦原」と名づけたが、「<あし>は<悪し>につながる」ということから、縁起を担いで「吉原」と変えたというのが通説である。ほかにも、庄司甚右衛門が東海道の吉原宿(現在の静岡県富士市内)の出身だったため、これにちなんだという説もある。

 そうしてスタートした江戸・吉原の遊郭だが、明暦3年(1657年)1月の大火、いわゆる「振袖火事」によって焼失。浅草近くへと移転し、現在に至っている。
 
 こうした経緯から、人形町にあったものを「元吉原」、現在の地に移った後を「新吉原」と呼ぶことも多い。
 
 その後、戦前には東京市浅草区新吉原という番地に変わり、日本最大級の遊郭として継続。戦後の一時期はいわゆる赤線地帯となり、売春防止法が施行された昭和31年以降は新興風俗であるトルコ風呂が次々にオープン。それが現在のソープランド街へとつながっていく。

吉原神社は新吉原の鎮守の社。
現在も幸せを願う女性にご利益があるといわれている

 現在、吉原のソープ街がある場所の正式な地名は「台東区千束4丁目」であり、「吉原」という名称は地名としては存在しない。しかし、実際の現場を訪れてみると、至る所に「吉原」の語は残されている。

東京電力新吉原変電所のプレート。現在は移動されて
しまっている

 まず、入谷方向から足を踏み入れると、「吉原弁財天」と「吉原神社」、さらに「NTT吉原ビル」が目に入る。このNTTの建物は、現在のNTT台東支店。かつてはその正門ゲート脇に電話ボックスがあり、「NTT吉原」と表示されていた。タクシーで吉原に行く際の目標のひとつで、とくに携帯電話が普及していなかった頃はその電話ボックスの前で下車し、そこから店に「今、吉原の電話ボックスの所」と告げて店員に迎えに来てもらうのが、吉原来店のひとつのパターンだった。

 このNTT吉原、90年代までは「NTT吉原営業所」という名称だったのが、2000年の頃には「NTT上野支店」となり、現在では「NTT台東支店吉原営業所」という名称だ。ちなみに、正面脇にあった電話ボックスは、現在は撤去されてしまっている。ほかにも、かつては吉原神社に隣接して「東京電力新吉原変電所」があったが、現在は移転している。

90年代までバーとして営業されていた建物

 現在の吉原の位置と道路などの状況は、350年前の資料と見比べても、ほとんど変わっていない。吉原エリア内の路地につけられた、「江戸一」「江戸二」「仲之町」「揚尾町」「角町」「京一」「京二」という名称も、江戸時代につけられた呼称に由来している。

 また、江戸一通りには隣接して「吉原公園」が、日本堤方向にはかなり前に移転した「吉原交番」がある。そして、さらに進めば、土手通りの交差点には「吉原大門」の表示が昔をしのばせる。

 吉原界隈では、老朽化などによって昔の建物が年々姿を消している。だが、よく探せばわずかに赤線時代の名残を見つけることができる。
(橋本玉泉)

 

『吉原炎上』

 
『さくらん』とは比べモノにならない妖艶さ


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