パンパンと女神とアメリカと 〜ニッポンの風俗史・戦後#2~

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「本日、緊急事態宣言を、全国において、解除いたします」


 安倍総理が映し出されたテレビの生中継に見入る飲食店店主と店員の姿は、一瞬、直立不動で玉音放送を聞く当時の臣民たちの姿とオーバーラップした。

 当時、多くの臣民は、信じがたい敗戦という現実に涙し、崩れ落ちたというが、令和のこの放送は、大方、好意的にとらえられたようだ。

 昭和のその日以降、日本は連合国軍に支配、翻弄されることになるわけだが、令和の今は、日常が取り戻されつつも、ウイルスの恐怖と、その恐しさを理解しない傍若無人な人々の恐怖に支配されそうな気配がたちこめている。

 

『パンパン』というひとつの女の生き方


昭和22年(1947年)5月『日本国憲法』施行
  23年(1948年)「風俗営業取締法」公布


 政府の鳴り物入りで設立されたRAAだったが、「公娼制度は民主主義の理想に反する」という理由から、進駐軍最高司令官・マッカーサーの令によって閉鎖された。これは同時に、桃山時代から連綿と続いてきた日本の公娼文化さえも否定される事になった。

 時代は物資不足と急激なインフレで、公共交通機関の運賃や郵便、酒、タバコは日々数倍に高騰し、餓死者も出るほど国民は貧窮していた。配給は滞りがちで、もはや、ヤミ市なしでは市民生活も成り立たない日々だった。

 そんな街角には、RAAから追い出された元公娼たちが立ち、カフェーではGI相手にパンパンがスカートを翻してダンスを踊る。いずれも好きで始めた商売ではなく、女ひとり、生きるためにはなんでもやらなくてはならない時代だった。

 

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※イメージ画像:Getty Imagesより

 

 世間ではそんな世相をダイレクトに映し出した歌、『星の流れに』が話題となっていた。

 歌の歌詞は、従軍看護婦としてアジアの戦地に赴いていた女性が、帰国してみると国は焼け野原で家族も失い、夜の女として生きるしかなくなったという実話を元に、戦争への告発歌として作られたものだった。「こんな女に誰がした」子供さえが口ずさむほど話題となっていた。

 戦後風俗を代表する『パンパン』とは、連合国軍支配下の日本で、米兵を中心とした外国人兵士を相手にする日本人娼婦の呼び名である。相手の国や肌の色によって、『白パン(白人専用)』や『黒パン(黒人専用)』などの呼称があり、白パンは黒人客を取ることはなく、その逆もまた同じだった。理由は、白人兵が嫌がったことによるらしい。

 呼称は他にも、『洋パン(ヨーロッパ系白人)』や、主に将校などの特定の相手のみと付き合う『オンリーさん』などがあった。後にその容姿や生き様が話題となり、歌や映画、小説の題材にもなった『ハマのメリー』も元は『オンリー』だった。

 彼女たちが立っていた場所は、多数の軍人が出入りする港町や米軍基地周辺の飲食街が中心で、外国人に恐怖を感じる女性は日本人客をとるために、駅前やヤミ市周辺にいたと言われる。

 「パンパン」と呼ばれる娼婦がいたのは、昭和20年の終戦直後から売春防止法が施行され、取り締まりが始まる昭和33(1958)年頃までだが、1960年代になってもごく少数の”元パンパン娼婦”が残っていたとされる。

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