【事件簿】ヌードモデルの女性たちが待遇改善を要求

※イメージ画像:Getty Imagesより


 東京オリンピックの開催を控えた昭和39年(1964)2月のこと、京都市内でその事件は起きた。

 現場は、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)。学生たちの作品制作のためヌードモデルをしていた女性10人が、モデル料の値上げを求めて抗議活動を始めたのである。

 彼女たちの報酬は、半日で500円。その頃、大卒初任給が1万6000円程度で、かけそばやラーメンは1杯50円だった。裸になる仕事のギャラとしては、500円は納得のいく金額ではなかったようだ。

 そして、彼女たちがとった抗議行動が、ちょっと変わっていた。大学側との団体交渉でも、ストライキでもなかった。10人の女性は、通常通りにモデルの仕事をしつつも、学生たちが求めるポーズをとらず、楽な姿勢しか取らないようにしたのである。一種のサボタージュのようなものと考えられる。

 これには学生たちの不満が噴出、と思いきや、「悪いのは安いモデル料しか払わない大学だ」と、学生たちもモデル女性側を支持した。

 

 つい最近も、どこかの高校教師が教え子に性的関係を強要したとか、そういう未成年者を好む男たちの所業は後を絶たない。というか、ずっと昔から続いている。  需要があれば供給が発生するわけだが、中学生や高校生のみならず、小学生売春というのも特に目新しいものではない。

 昭和7年(1932)5月8日、大阪でエロ写真を密造販売していた連中が捕まった。  事件を報じた「大阪朝日新聞」の記事によれば、まず28歳の男が20代の女性に5円のモデル料を払ってスタジオで写真を撮影。プリントした写真を何枚かまとめ、1組35銭で5人の売人に卸す。それを売人たちが1組3円で売りさばいていたというのが事件の概要である。

 

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