歴史探訪:日本のアダルトパーソン列伝

【日本のアダルトパーソン列伝】日本における「変態」研究の第一人者・田中香涯

※画像:雑誌『犯罪科学』に掲載された
田中香涯の論文

 「変態」というものを、興味本位や雑談のネタとしてとらえられることは多いが、研究対象にすえようという学者は少ない。そのなかで、明治時代に性欲そして変態について、生涯にわたる研究分野とした学者がいる。本名・田中祐吉、ペンネーム田中香涯(こうがい)がその人である。

 香涯は明治6年(1873)、大阪に生まれた。生家は代々続いた由緒ある漢方医で、香涯もまた大阪府立医学校(現・大阪大学医学部)を卒業し、助手として母校に勤めるようになる。その後、教授職にまで昇格するが、大正3年(1914)、同校(改称により大阪府立高等医学校)を辞職してしまう。辞職の理由として「バカな学生に教えるのに疲れたから」と言ったというエピソードも残っているが、その真偽は別として、香涯は自らが深く関心を寄せるテーマについての研究に没頭していく。

 すでに明治33年頃から、本名で『医事断片』『公娼論』『病理解剖学提綱』などの著書を出していたが、明治末期には性に関する研究をかなり深めていたと考えられる。そして、大正元年には、『人間の性的暗黒面』『愛慾に狂ふ痴人』『江戸時代の男女関係』『女性と愛慾』『性に基く家庭悲劇と其の救済』『夫婦の性的生活』『近世性慾学精義』などの著書を次々に刊行する。こうして、性研究者としての香涯の名は大いに高まった。

 その香涯の博識と熱意に驚嘆したのが、やはり性研究家であった中村古峡(こきょう)だった。古峡はかねてから会員向け雑誌『変態心理』を発行していたが、それが軌道に乗ったのを見計らって、「是非とも田中先生にお譲りしたい」と、香涯に発行権を提供したのである。

 受け取った香涯は、誌名を『変態性欲』に変更すると、大正11年5月から個人雑誌として刊行を続けた。内容は香涯のよる性に関するさまざまなレポートや考証を満載したもので、性欲一般に始まり、サディズム・マゾヒズムなどの性的嗜好、幼児や高齢者の性的な行動、結婚儀礼に関する論考など、極めて多岐にわたり、しかも研究者ならではの論理的かつ緻密な文章が毎号掲載されている。

 この『変態性欲』の編集刊行に専念していたためだろうか、大正から昭和初期まで、著書を刊行した形跡が見当たらない。『変態性欲』は昭和初期まで刊行された。

 その後も香涯は研究を続け、『犯罪科学』などの雑誌に寄稿するほか、『愛と残酷』(昭和5年)などの著書も再び手がけたが、太平洋戦争さなかの昭和19年(1944)5月、70歳で死去した。おりしも、翌月の6月にはサイパン島上陸、マリアナ海戦が始まり、8月には政府によって一億国民総武装が決定するなど、世間は戦時一色となっていた。

 現在、数多く刊行された香涯の著書は、国会図書館その他で読むことができる。また、『変態性欲』に掲載された記事を編集したものが、『奇・珍・怪』『奇・珍・怪. 続』というタイトルで、戦後になって刊行された。こちらも、古書店などをよく探せば見つかることがある。
(文=橋本玉泉)

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