売春防止法で生まれた新風俗 ~ニッポンの風俗史・戦後#7~

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風俗は時代に連れて…

 先日、久しぶりに面白い裏風俗を見つけて遊びに行ってきた。大人のパーティーである。詳細は別記事(※)を読んでいただくとして、10年以上も前に絶滅したと思われていたオトパが復活した理由は、なんと、コロナウイルスの影響で宴会の仕事がなくなった温泉コンパニオンを食べさせてあげるためだった。

『大人のパーティー復活のイマドキな理由 ~ニッポンの裏風俗~』

 敗戦によってパンパンが現れ、電話の普及によってパンマが登場し、売春防止法の施行によってトルコ風呂が登場したのと同じように、現代風俗も時代の革新や流行、大きな出来事によって新しい業種が登場したり変容を遂げたりしている。歴史ある風俗は、時代を映す鏡ともいえる産業といえるかもしれない。

 さて、前回、前々回と2回に渡ってトルコ風呂の歴史をお伝えしたとおり、売春防止法施行から2年後の昭和35年(1960)には、旧遊郭や赤線地帯はトルコ風呂の街へと変わり、すでにニッポンの風俗の”本流”となった。

 しかし、当時の日本にはトルコの他にも風俗はあったはず。それらはどうなったのか? トルコ風呂以外の風俗の歴史を探ってみる。

 

アルサロが支えた高度経済成長

 時代は前回より少し遡った昭和25年(1950)頃、大阪・ミナミにアルバイトサロン(アルサロ)が登場した。諸説あるが、元祖は「大劇サロン」と「ユメノクニ」の2店と言われており、「大劇サロン」は女のコとおしゃべりとお酒を楽しむ店だが、「ユメノクニ」は一歩進んだピンクサービスで人気を博していた。

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千日前にあった「大阪劇場」。この地下にアルサロ「大劇サロン」が入っていた

 そもそも「アルバイト」という言葉は、戦後にすでに「副業」という意味のドイツ語として日本に馴染んでいて、アルサロで働く女の子たちは、もっぱら貧乏な学生や、当時「ビジネスガール」と呼ばれていたOLたちだった。

 アルサロはパンパンなどのプロにはない、”素人女性の初々しいさ”が魅力の店。客と女の子が相互にイチャイチャをたのしみがらお酒が飲め、今で言う「いちゃキャバ」のようなもので、ピンクサロンの前身とも言われている。

 その後、アルサロは急速に店舗数を増やし全国に広まって行くことになるが、その理由は女のコたちの素人っぽさだけではもちろんない。アルサロが庶民に受け入れられた理由は、明瞭な料金システムだった。

 以前からあったサロンやキャバレーでは、女のコは店から一銭の給料をもらわず、全て客のチップに頼っていた。朝鮮戦争特需で金へん、糸へん産業は景気が良かったが、中にはチップの奮わない客もいて、女の子のサービスも偏りがちだった。

 そんな中、アルサロが導入したのはノーチップ制の一律料金だった。ビール200円、つきだし100円、サービス料20%。それに指名料の200円で1セット560円。女の子には日給200円の保障給と指名料の半額が入る。接客次第で指名本数が増えると給料も上がり、サービスに精を出すコも少なくなかった。

 大阪に現れた2軒のアルサロだが、一歩進んでいた「ユメノクニ」は、「大劇サロン」より過激なサービスが人気となっていた。それは「白いハンカチ」というサービスだった。

 ミニスカの女の子が客に寄り添うように隣に座ると、ミニスカからむき出しになった太ももの上に白いハンカチを広げる。すると、客の手がハンカチの下に侵入して、なにやらゴソゴソ動き始めるというお遊びだ。もちろん手は、ハンカチのすぐ下ではなくミニスカの中だった。

 風俗などで働いたことのないウブな女のコの汗ばむ肌や火照る身体、次第に荒くなる息遣いなどは、高度経済成長社会でストレスを抱えた会社員や工員たちにとって、格好のはけ口となったに違いない。

 さらに、「白いハンカチ」サービスは新たなシステムに進化していく。ハンカチが置かれる場所が女性の太ももから男性の股間に移動したのだ。ハンカチの下に侵入するのは女性の手となり、そのハンカチの下で淫らなことが行われる。それが女の子の指名数と給料を伸ばしていくのだった。

 「ユメノクニ」は、現代にある”夢の国”とはまた別の、オトナのための夢の国だった。当時のユメノクニの看板にはこんな文句が書かれていた。

「来る日も来る日も/会社と家の往復/その中間に/ユメノクニがある/あすの為に今日がある/はたらく為に/レジャーがある/あなたの為に/ユメノクニがある」

 「はたらく為に/レジャーがある」の部分は、経営者が「アルサロの為に/仕事がある」に言い換えたかったのではないかと思え、笑ってしまった。

 一方、東京でも昭和29年(1954)頃からアルサロの開店ラッシュとなっていた。「赤い靴」「白いばら」「シルバーゴールド」「令嬢」などの店が続々開店。アルサロ嬢の平均月収は平均1万円となっていた。

 アルサロが人気になると赤線あがりの女性の転職組も増え、閉店間近になると小声で「3000円だけどどう?」などと、半ば公然とアフターの交渉が行われた。

 おかげで閉店後のアルサロの店前には、アフター待ちの男性が群れをなす光景が当たり前に。そして、アルサロの人気を嗅ぎつけたのは赤線出身の嬢だけでなく、女子高生もいたらしい。すでにこの頃から若者らしいしたたかさは発揮されていたようだ。

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