メンズエステはトルコ風呂を超えられるか ~ニッポンの風俗史・戦後#5~

 7月、吉原の旧赤線業者が目をつけたのはトルコ風呂だった。既にその時点で全国に100軒のトルコ風呂があり、そのうち33軒は東京都内で営業していた。

 先陣を切って赤線『東山』がトルコ風呂『トルコ吉原』を開業すると、他業者もそれに追随した。「浴場」としてトルコ風呂の営業届けを出す旧赤線業者が急増したのだった。

 一方、関西最大の遊郭だった飛田遊郭は、別の方向性を見出していた。その方法とは、全ての旧赤線業者が廃業届を出し、一転して料理屋として届出を出したのだ。

 女性たちは芸妓(セックスなしの芸者)として置屋に登録し、そこから料亭に仲居として派遣する。つまり、三業地(置屋、待合、料亭のある地域)として復活させようという目論見だった。

 

メンズエステはトルコ風呂を超えられるか ~ニッポンの風俗史・戦後#5~の画像3
戦後の飛田遊郭(※画像はイメージです)

 

 仲居と客が一瞬のうちに恋に落ち、自由恋愛の果てに料理屋の室内でコトに及んでしまった、というファンタジーな発想を発明したのだ。

 この目論見は見事に成功した。ただし、置屋から派遣するまどろっこしいシステムは嫌われ、その後、料亭の玄関先に女性を待機させたところ人気となり、松島、滝井の新地が同じシステムに続いた。信太山と今里は現在も置屋から派遣している。

 今も新地の店に上がると、飲み物とお茶菓子が必ず出てくるのは、「料理屋」という大前提があるためだ。

〈文=松本雷太〉

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