平成のフーゾクを振り返る ~街にピンクチラシがあふれていた頃(昭和50年頃~平成23年頃)~

冊子チラシの中身。※ぼかしは編集部で入れたものです。


 2000年代初頭、平成でいうと12年から15年頃になっても、ピンクチラシの攻勢は相変わらずだった。当時、すでにインターネット環境ではADLSが普及し、それまでのダイヤルアップから常時接続が当たり前となりつつあったが、それでもピンクチラシに頼る利用客が多かったのだろう。当時、電話ボックスでピンクチラシを確認しながら携帯電話で話しているといった光景もよく見られた。

 このピンクチラシ、風紀上などの理由から常に非難の対象となっていた。だが、当局の取り締りなどによって一時的に少なくなったりはしたものの、すぐに復活するということの繰り返しだった。それに関しては、取り締まる側と業者との癒着など、いろいろな理由が噂された。

 そして、ピンクチラシはさらに拡散と増殖を続けた。歓楽街やホテル街の周辺の電話ボックスだけでなく、あらゆる場所に進出するようになった。たとえば、学校近くの公衆電話に堂々と貼りつけられたり、マンションやオフィスビルなどの集合ポストなどに投函されたりといった具合である。大型マンションのポストの脇に「いかがわしいチラシお断り」と掲示され、その下の段ボール箱に大量のピンクチラシが捨ててあるのを、何度も見たことがある。こうした状況にさらに非難の声が高まったが、それでもピンクチラシは街から絶えなかった。

鶯谷の電話ボックス/2002年頃。※ぼかしは編集部で入れたものです。


 ところが、ある時期に事態は急変する。

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