【ニッポンの裏風俗】基地と共に生まれた街、沖縄・真栄原社交街

 3月が過ぎると、ゴールデンウイークまではもうすぐ。花粉のシーズンもその辺りまでだろう。今年のゴールデンウイークは10連休ということで、海外リゾートに行く人も少なくないのではないだろうか。

 日本で人気のリゾート地といえば、沖縄だ。この沖縄に、“ちょんの間”街があったことをご存じだろうか?

 「真栄原(まえはら)の新町」や「吉原」と呼ばれたその街は、敗戦と共に生まれ、10年ほど前まで15分5000円という格安料金で遊べる、まさに男性のための“リゾート”だった。

 

 可愛い女のコがたくさんいて、格安で遊べるちょんの間として知られた「真栄原社交街」ができたのは、終戦後の1950年。普天間飛行場が作られた際、米兵から地元住民の婦女子を守るための「娯楽施設」として設置された。

 しかし米軍は、性病蔓延の恐れがあるとして、全国にできた同様の娯楽施設をオフリミッツ(立入禁止)とした。その後、米兵のいなくなったちょんの間街は、一般の日本人のための娯楽施設へと変わっていった。

 1958年に売春防止法が施行されると、全国の赤線業者たちは次々と廃業したり、トルコ風呂に転業していく中、沖縄のちょんの間だけは、堂々と営業を続けることができた。なぜか?

 それは、当時の沖縄がアメリカの統治下にあったためである。沖縄にあるちょんの間が、どの文献を見ても「赤線」に指定されていないのは、そういった理由から。あえて言うなら、公娼街・赤線ではなく「私娼窟・青線」の部類だろう。

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