恐るべき色魔! 熟練の刑事もあきれた連続凶悪レイプ犯


 仙蔵は北多摩郡千歳村烏山(現・世田谷区)に生まれた。幼少の頃から「たちの悪い好色家」として村中の嫌われ者だったというから、おそらく近所の女性たちを手当たり次第にちょっかいを出していたような男だったのであろう。

 嫁でももらえばおとなしくなるだろうと周囲は思ったようだが、そもそもこんな評判の悪い男と結婚しようなどと思う女性がいるわけがない。何とかこの悪い癖を直そうと、親類たちが努力して言い聞かせたりしたが、馬の耳に念仏でまったく改めようという気がない。

 そこで今度は、仕事でもさせたら少しは変わるのではと思ったのだろう。兄が青物を仕入れて仙蔵に行商させた。しかし、毎日ただ野菜を積んだ車を引いて歩き回るだけで、ろくに客もつかない有様だった。

 しかもこの仙蔵、仕事をそっちのけで非道の限りを尽くしていた。

 仙蔵は荷車を引きながら住宅街を物色し、女性の有無を確認して回っていた。荷車を引いた男が民家を覗いていても、御用聞きか何かと思われるので怪しまれない。そして、美人がいるとわかると、物陰から犯行の機会をうかがうという。

 仕事その他はまったくやる気のない仙蔵だったが、目をつけた女性を狙うことについては長けていて、何日も、何週間もかけて女性の様子をうかがうことなど平気だった。まさにストーカー体質の男である。

 そうやって、ターゲットの女性が一人で外出すると、すかさず尾行し、人気のない場所で襲いかかると、路地や物陰でレイプするという手口だった

 記事には、「云うに忍びぬ侮辱を受けて負傷」したといった20代女性の例がいくつか挙げられ、女子学生や家事手伝いの女性など、少なくとも十数名が仙蔵の犯行の被害にあっていることがわかった。レイプの犯行では、被害女性が精神的ショックや世間体などから被害を隠してしまうケースが少なくないため、仙蔵の犯行はかなりの数になると予想できる。記事で「被害者は数十人」などとリードに掲げているが、これは決して少ない数ではなかろう。 
 

※画像:『東京朝日新聞』明治43年9月15日より

 これらの犯行によって、仙蔵は検察へと送られた。
 
 取り調べに当たった検事もまた、仙蔵の悪質さを指摘した。レイプ犯は、まず女性を口説くことからはじめ、それで思い通りにならない場合に腕力に出るケースが多い。しかし仙蔵の場合は、最初から暴力で女性を襲うという点で一貫している。検事は「困った奴です」などと締めくくっているが、そんな程度ではすまないだろう。

 前述のように、明治時代の新聞をみるとレイプ事件の記事はめずらしくない。だが、最初から暴力的にレイプし、しかも被害者は数十人にも及ぶという悪質なケースは多くはない。新聞記事でも「狙われたが最後」「恐るべき色魔」「極性質が悪い」などと付されている。

 だが、当時の資料を見ると、レイプを犯罪として立件することは決して容易ではなかったのではなかろうかと思われる。先述したように泣き寝入りしてしまう女性も多かった上に、男のほうも犯罪意識が希薄だったケースが少なくない。

 なかには、強姦された娘が親兄弟とともに犯行男性のもとに抗議に行くと、「たかがその程度のことでさわぐな」などと、逆に激昂されたケースも少なくなかったようだ。こうした逆ギレする男は、無頼の者と思いがちだが、実際には有名大学の学生といった社会的なエリートであることが珍しくなかったという。

 エリートが卑劣で粗暴な犯罪を重ねるというケースは、現在でもよく見かけるところである。明治の事件を眺めていると、「現在と変わらないなあ」と思うことしきりである。
(文=橋本玉泉)

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