「球団を私物化」内部告発されたナベツネ氏 恐るべきワンマンぶりの理由

※画像は『渡邉恒雄回顧録』より

 プロ野球・巨人の清武英利代表が文部科学省で記者会見し、同球団会長の”ナベツネ”こと渡辺恒雄氏の「独裁体制」を内部告発した。清武氏によると、来季の一軍ヘッドコーチに岡崎郁氏の続投が内定し、ナベツネ氏の了承も得た上で契約書締結に着手していた。だが、ナベツネ氏の急な鶴の一声により、来季のヘッドコーチに江川卓氏を起用し、岡崎氏を降格させる人事を指示されたという。

 清武氏は「(ナベツネ氏の指示は)プロ野球界におけるオーナーやGM制度をないがしろにするだけでなく、選手らを裏切り、ひいてはファンを裏切る暴挙。(中略)コーチ、監督の基本的人権をないがしろにしたと言われかねない」「大王製紙やオリンパスのように、最高権力者が会社の内部統制を覆すことはあってはならない」と涙ながらに訴えた。

 事前に会見内容について、担当弁護士を通じて「コンプライアンス上の重大な件」と説明されており、「暴力団絡みか」「ドラフト問題か」と騒がれたが、フタを開けてみれば球団内の内紛。ただのお家騒動でありながら、わざわざ文科省で大勢のマスコミを集めて会見したことに、あきれた人も少なくない。そこまでしなければいけなかった理由は何だったのか。

「あまりのワンマンぶりに耐えかね、清武氏が絶対的権力者のナベツネ氏に反旗を翻した形ですが、普通に抗議すれば自分が球団から追い出されるようなことになりかねない。会見でナベツネ氏の横暴ぶりを告発することで、世間を味方につけ、相手の動きを封じる目的があったのでしょう。ここまで大ごとになれば、下手に清武氏を更迭することもできない」(スポーツ紙記者)

 相手が自分より上の立場とはいえ、球団代表ともあろう清武氏がここまで恐れているナベツネ氏。なぜそこまでの権力を持ち、どうして85歳という老境に入りながらも球団の人事にまで執着するのだろうか。

 東京・杉並の銀行員の家に生まれたナベツネ氏は、幼いころに父親を亡くし、一家の大黒柱になる目標を抱いた。秀才として旧帝大(現東大)文学部に進んだ彼は、卒業後に読売新聞社に入社。政治部記者となった彼は、当時の社長・正力松太郎氏にかわいがられ、大物政治家・大野伴睦氏の番記者として頭角を現し、後の総理大臣・中曽根康弘氏、戦後の大物右翼で政界のフィクサー・児玉誉士夫氏らと親交を深めた。次第に裏で政治に介入するほどの実力となり、1991年に社長就任、2005年に会長職に就いた。権力側とのズブズブの関係は公然の事実となっており、2007年の自民党・民主党の「大連立構想」の黒幕だったとされるほど。保守傾向でありながら首相の靖国神社参拝に反対の立場の彼は「靖国参拝をするような首相が出てきたら、発行部数1000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す」と、メディアの私物化ともとれるような発言もしている。

 実力者となってからは絵にかいたようなワンマンぶりを発揮しており、ナベツネ氏に反対意見を述べることができる者はおらず、「尻尾を振る者は犬でもかわいい」という発言も伝えられている。

 ここまでの実力者であれば、清武氏が恐れるのは十分に理解できるが、なぜそれだけの大人物が巨人に固執するのか。

「ナベツネ氏は、元々は全く野球に興味がありませんでした。1996年に巨人オーナーに就任した直後、試合を観戦していたナベツネ氏が『バッターは三塁へ走ってはいかんのか?』と発言したという逸話もあるほどです。今も野球に興味があるというより、読売の名を冠した『読売ジャイアンツ』を自分の思い通りにしたいという気持ちがあるだけでしょう。そして野球界に関わっているからには、ボスでいたいという性分のため、他球団のことにまで口を出す。Jリーグブームのころには、ナベツネ氏はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)にも注力していましたが、それはグループ企業である日本テレビ系列で『読売ヴェルディ』という呼称を使っていたから。後にJリーグ側から企業名を入れた呼称をやめるように勧告されてからは、ナベツネ氏のJリーグ熱は一気に冷めてしまいました」(前同)

 強大な権力とワンマン志向を持ったナベツネ氏に噛みついた清武氏の今回の反逆劇は、一部で「本能寺の変」にも例えられている。果たして、”老害化”した絶対的君主のナベツネ信長を討つことはできるのだろうか。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

 
どうしても勝ちたいナベツネにも必要かも!?


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