【在宅アニメ品質管理者 定期作業報告 2】

09’No.1ヒット作『化物語』を構築するいくつかの”ルール”

『化物語 第四巻 なでこスネイク(完全生産限定版)』

 勝間和代が日本のデフレを食い止めようと署名運動を始めたり、蓮舫が事業仕分けで科学技術者を高く吊したりと、現実の女性も二次元キャラ並のアグレッシブさを見せつけている年の瀬、気の休まるヒマがありません。

 アニメの世界でも『CROSS GAME』では野沢雅子が猫役で「にゃー」と鳴き、『にゃんこい!』(9話)で、たてかべ和也がこれまた「にゃー」。さらに『けんぷファー!』で野村道子が臓物丸出しアニマル人形になったりと、大御所声優をペットとして登場させるというデフレ化現象が進行中。筆者は野沢さんとたてかべさんは普通に観賞できるものの、どうしても『けんぷファー!』の「しずかちゃんに、オタ専門用語を喋らせよう」ソリューションだけはまだなじめません……。アニメ事業仕分け人がもしいたら、そのアタリちょっとアレしてもらえませんかね? できたらでいいんですけど。

 と、気がつけば今クールのアニメも終盤に向けて盛り上がったり、観ているだけで精神力を削ってくる凶器と化したりしながらついに12月に突入。皆さんはアニメを一所懸命見ていますか。筆者は無事、『11eyes』を楽しく観る方法を編み出しました。

 年末恒例のアニメの話題といえば、「今年一番のアニメは何かな?」とか、「セールスNO.1アニメはどれだろう」だとか、「13話が、予定日をズレこみ、進行状況をブログで逐一報告したアレは、年内に完結……は無理にしても14話はいつできあがるのか?」などが定番。

 今回はそんな、配信しないこと自体が話題になっているという、マーケティングの変な成功例『化物語』の特徴的な演出について少し語ってみたい。


 『化物語』は、原作:西尾維新・制作会社:シャフトによるアニメで、DVD、Blu-rayの第一巻が通算で6万枚を超える大ヒット。その後も5万枚超えのペースで続巻している。アニメ制作会社シャフトと監督・新房昭之のタッグは、通称「新房組」とも言われ、1秒未満の文字のみのカットや、静止画をめまぐるしく表示させたり、実写素材を貼り込んだりとケレン味のある演出方法が特徴的。『さよなら絶望先生』は第3期まで制作されるなど、その独特な演出方法には熱狂的なファンが多い。

 筆者はそのケレンがあまり好きなほうではなく、いい視聴者ではないのだが、『化物語』ではシャフト演出がある完成を見たように感じる。例を挙げてみよう。

 1つめは会話劇のフォーマット化。登場人物同士の会話など、映像を1つの物語として繋がって見えるようにするにはさまざまな”おやくそく”があるが、『化物語』のフォーマット化はそれらを単純化させ、ほぼ単一のルールで描き、緊迫したシーンでもギャグシーンでも基本トーンを堅持し続けている。

 たとえば会話シーンだと、基本的に遠景から会話する二人を収めるか、登場人物を斜め角度から一人だけ収めている。そのうえ、目線もほぼ画面からはずれた位置に焦点を結んでいるのだ。会話が核心に進むとそれがどんどんズームアップしていき最終的に眼球の動きにたどりつく。会話は普通、二人の関係性の機微や動きを描くことが多いので、緊迫したシーンになるほど周囲の動向が描かれる傾向にあるが、『化物語』は全編にわたってどんどん発言者だけにフォーカスしていく。

 2つめは風景の幾何学・無機質さと、機械的な動き。まず、彼らの住む場所は直江津という名前がついているものの、およそ物語の登場人物以外は存在しない。準主役級以外には学校シーンでもクラスメイトすら登場しない。そして、建物や道など周囲の環境すべてが直線的な構図で構成されていて、まるで方眼紙の上に描かれたよう。これは「彼らの住んでいる街」というより、「背景」で、生活感やリアリティが排除されている。

 前述の会話シーンでは、この背景は登場人物を中心に回転を始める。主人公・阿良々木とその周辺が文字通り世界の中心になるわけだ。このルールは特別なアクションシーン以外、ギャグでもシリアスでも徹底されている。お話よりもルールが勝っている状態だ。

 西尾維新の原作小説『化物語』における怪異の発生と祓いなどの行為は、京極夏彦が紹介した民俗学の解説の影響を直接的に受け、さらに単純化されたものと思われ、新味はない。怪異も合理的な現象であると言っているだけで、あらすじだけを説明されるとすぐに終わってしまう。むしろ”おはなし”としてではなく、西尾維新の気分次第で登場人物の個性も変わってしまうような饒舌で冗長な語りが原作の魅力だと思われる。つまり、怪異や主人公をめぐる設定や、ストーリーは添え物で、不機嫌な登場人物のやり取りこそがキモなのだ。

 書かれたことだけで場面が成立する(=書かれていないことは存在しない)小説と違い、映像作品では人物の位置関係や「背景」なども描かなければならず、このような種類の作品の魅力を伝えるのは難しい。西尾維新自らが「アニメ化は不可能だ」と語っていた小説『化物語』がアニメ化されるというニュースに「映像化は可能なのか」「どうやって映像化するのか」と話題になったのはこれらの理由によるところが大きいだろう。

 この、小説とアニメという表現形式の違いによる齟齬に対して、会話劇の極端な演出と背景処理で不自然さを徹底させて根本的な齟齬を棚上げするという解決策が採られた。これによって、『化物語』は逆に自然に観賞できるようになっていると言える。

 会話劇が主眼で舞台やストーリーは添え物のアニメと言えば、今クールでは『生徒会の一存』。第1話のタイトルはそのものズバリ「メディアの違いを理解せよ」だったりしたわけだが、メディアの違い=原作破壊という大雑把な理解をキャラクターが喋り、一気になんかツラいパロディの山に雪崩れ込んだあげく、「本日の生徒会、終了♪」なんつって登場キャラ全員が横一列に並んでポーズを決めるという不器用なまでに誠実なサービス精神を発揮。

 それが原因で、筆者は貧乏揺すりが止まらなくなる怪異に取り憑かれかけたりしたのだが、最新話まで正座で観賞した結果「今日は”終了♪”ポーズないのかよ! やってくれないと俺が困るんだよ!」と別腹精神で心から楽しめています。アニオタって複雑な生き物ね?

(文=久保内信行)

『化物語 第三巻 するがモンキー』

 
まだネット配信も残ってるし


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