美咲かんなエッセイ:ふしだらな気持ち「セックスのこと」

 美しい花には棘がある――。誰もが備える多面性を表現したこの言葉。特に男を惑わす美女には危険な一面がある、という男の自戒的な意味を表しているわけだが…。勝手に舞い上がって棘が刺さってしまうのは男のせいとも言える。美女は美女で悩むことも多いのだ。AV女優・美咲かんなも悩み多き美女のようで…。美しくもどこか陰のある彼女が、素直な気持ちをふしだらに綴る。

 

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美咲かんな

美咲かんなエッセイ:ふしだらな気持ち「セックスのこと」

 突然だが、君たちはセックスについて真剣に考えたことがあるだろうか。私はいつも考えている。秋の夜長の暇潰しに、今日もまた一緒に聞いて想像して、悶々していただきたい。

 セックスという言葉を知ったのは中学1年生くらいの頃だったと思う。

 長らくウブだった私はエロについての知識を全くもっておらず、ある日、同級生の男子に「セックスって知ってる?」と茶化すように聞かれた。それが「セックス」との出会いだ。その後同性の友人に何のことか教えてもらおうとしてもはぐらかされてしまい、辞書で調べたが詳細がよくわからないまま放置した。

 かなり記憶が曖昧だが、セックスは「エッチなこと」だという認識が生まれたのは中学2年生くらいだった。それと同時に体の一部を他人に差し込むとか差し込まれるとか、男女の体の仕組みも状態も想像できず、不可能なことのように思えた。

 保健体育など学校での性教育は詳細ではなく、様々な疑問が解決しないまま、高校生くらいになると周りに非処女、非童貞が増えてきた。

 恋人と好き放題やっていることを自慢げに語る男子たちは大人っぽく見えたし、痛くて苦しい初体験を乗り越えたと誇らしげに語る女子たちはまるで勇者のようだった。

 中にはトラウマ級の盛りに盛った体験談を聞かせてくる友人も何人かおり、知識の乏しい私を心の底から怯えさせた。詳細がよくわからずセックスは現実的ではないと逃げ腰だった気持ちに拍車がかかり、「私にはセックスなど必要ない。出家して修道院に入ろう」などと飛躍したことを考えていたほどだ。その頃の私にはセックスの良さも大切さも全く理解できなかった。

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初体験があってなんやかんや

 セックスはかなりハードルの高いものという認識のまま大学に入り、しばらく何の変哲もない暮らしをしていたが、ひょんなことから運命の人(当時は本当にそう思っていた)に出会ってしまい、交際4か月でようやく物理的な繋がりというものを経験した。その後は特に語るほどでもないが、なんやかんやあって今に至る。

 現在、プライベートでセックスをする機会は残念ながらほぼない。前向きな気持ちはもち続けているので、期待を込めての「ほぼ」だ。

 相手を選ばずにしようと思えばいくらでもできるのだろうけど、そのような関係は盛り上がりに欠ける。セックス自体が悪いわけではないが、その場限りの関係をもつことが好きではないのと職業柄、体が資本ということもあり、性欲を解消するためだけに行き当たりばったりの行為をすることはハイリスクだと思ってしまう。性欲はあるので、自分なりに解消をしているが…長引くのでその内容についてはまた別の機会に話そう。

 セックスは恋人とするものというのが健全な考え方なのかもしれないが、セックスしたことによって距離が縮まったり人柄が見えたり、気持ちも何もない相手だったけど相性が良くてイメージが良くなるみたいなことは実際にあるので、恋愛とセックスはイコールではないと思う。

 「体の相性が良すぎて性格は合わないけど離れられない」みたいな話も聞いたことはあるが、私自身はそこまでの相手と交際したことはない。

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セックスという奇跡

 私にとってのセックスは性欲のためというより、コミュニケーションとしての役割が大きい。本当に手っ取り早く性欲を満たしたいと思うなら、自宅にこもってワンマンショーを開催している方がよっぽど気楽だ。絶頂までの近道は自分が一番詳しい。それでもセックスをしたいと思うのは、やはり他人に与えたり与えられたりする喜びがあるからだろう。

 リラックスして一緒に食事を楽しむようなセックスもあれば、仕事や筋トレのようにお互いを高め合い切磋琢磨できるようなセックスもある。

 陳腐な表現しか思いつかないのがもどかしいが、幸せなセックスもあれば悲しいセックスもあるのだ。

 二度と同じ日が訪れないように、いつ誰としても同じなんてことは決してない。くすぶっていても、消化試合でもマンネリに気づいたとしてもそれは発見ではないだろうか。

 感動するようなセックスばかりではないし、噛み合わないことももちろんあるけれど、通じ合い共鳴するようなセックスができたときは、オナニーで得られる快感とは別の心身が満たされるような感覚があるのだ。独りでは起こせない化学反応はセックスだから出会える奇跡だと思う。

 人と接すること自体が難関になりつつあるが、人と交わるあの感動をプライベートでも味わいたいので、ひっそりと機会を探そうと思う。

 しかしまあ、こんなにモテないとなると、前世の自分はよほど悪人だったのではと疑ってしまうほどである。プライベートでセックスに困らない時期などもうこないかもしれない…と、一抹の不安を抱えながら、今日も駅の改札前でやけにイチャイチャしているカップルを見てヘコんでいる。

 せめて来世の私がいい思いをできるよう、今世の私は善人でいたいと強く思うのだ。

美咲かんな

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【美咲かんな】
生年月日:1994年7月3日
スリーサイズ:T158・B85・W58・H88(cm)
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 桃の季節も終わり、街で見かける広告には芋や栗、秋鮭などが目立つようになってきた。食いしん坊は季節の移り変わりも旬の食材で把握している。一部の食材以外は年中スーパーなどで手に入る時代だが、旬の食べ物は安く手に入る上に美味しさも段違いだ。測る術がないため調べてはいないが、なんと栄養価も違うらしい。仕事や人に合わせるとき以外は、そのとき食べたいと思ったものを我慢せず食べるのが私の生き方であり、生き甲斐だ。

世の中は相変わらず某感染症が猛威を振るっており、日々不安と闘いながら生活している。自分の健康面に関してはもちろんだが、感染症というのは「自分さえよければ」が通用しない。人と関わることは元々少なく、帰属意識というのも強い方ではないが、こんなことで社会との繋がりを感じてしまうとは実に皮肉だ。

 前回のエッセイ(※)の最後で、「今年の秋はお気に入りのモンブランを見つけるのが夢」と締めくくってから半月以上が経つ。結局お気に入りのモンブラン(ここでは栗のものを指す)を見つけるどころか、モンブラン自体に辿り着いていない。

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