人類初の泡踊りは川崎のトルコ風呂から ~ニッポンの風俗史・戦後編#8~

 一方、当の浜田さんは、最高月収1200万円(当時の大卒公務員の給料は約2万7000円)、1年で1億数千万円を稼いで引退。鳥取の皆生温泉地にトルコ風呂を開業したまでは良かったが、堀之内時代からヒモだった恋人が他に女を作ったことで、傷心のガス自殺により人生を閉じている。

 昭和30年代、日清食品がチキンラーメンの製造特許を公開したおかげで、インスタントラーメン市場が活性化し、業界が成長した。同じように、浜田さんのおかげで全国に広まった”泡踊り”は、伝えられながらも同時に独自の進化を遂げていった。大きく分けて、川崎流、横浜流、千葉流という3つの流派があった。

 千葉流は栄町の『トルコ風呂石庭』から始まったとされ、お互いの股の間に脚を入れ、Y字型に股間をこすり合せることで、「くぐり洗い」と呼ばれた。その体勢で挿入するのだが、意外とこれが難しく、習得するには経験を要し、ベテランの技と言われていた。

 横浜流は福富町の『鎌倉御殿』が発祥。客に横から抱きつき、身体をくねらせながらおっぱいとヘアーを擦り付けることから「横洗い」と呼ばれた。

 そして進化版川崎流は『王朝』が発祥。泡踊りの最中、体位を変えるときも身体をくねらせるときも、いっときも男性の股間を握った手を離さないという技法。そして、各流派の髄を全て応用したのが、「フルコース」と呼ばれた”雄琴流”だった。

 この中に、当時すでに日本一のトルコ風呂街となっていた吉原の名前がないが、どうなっていたのか? もちろん、吉原のトルコ風呂でも、流行の泡踊りを指をくわえて見ていたわけではない。

 すでに昭和36年に考案されていた「椅子洗い」や、立ったまま泡踊りをする「立ち洗い」、そしてさらに、泡踊りが考案される以前に人気となっていたサービスもあった。

 それは『ミッキー』と『三春』から始まった、「ベッドマナー」と呼ばれるサービス。ベッドに横になった男性の全身を、舌で舐め回す、今で言う全身リップの前身だったのだ。

 しかし、吉原がおおっぴらに泡踊りなどの濃厚サービスを打って出るには大きな問題があった。以前から吉原はもっとも当局の監視の目が厳しい地域であることから、トルコ風呂業者は派手なサービスを敬遠する方向に向いていたのだ。


「日本一のトルコ風呂街だけど、仕事は楽でそれなりにお金は稼げる街」


 やがてこんな噂が全国のトルコ風呂街に広まると何が起きたか? 楽して稼げるならと、全国から美女たちが吉原に集まってきたのだ。そのおかげで、サービスは軽くても「日本一、美女が多いトルコ風呂街」として、吉原はさらに人気が高まっていくことになったのだった。

 振り返って見ると、昭和44年(1969)の泡踊り発案以降、風俗業界には大きな異変が立て続けに起きている。

 同じ年、東京・五反田のピンサロでは花びら回転サービスが始まったが、大阪では逆にピンサロは自粛、当時「大阪名物」と呼ばれたパンマも摘発を受け始めていた。

 そして昭和45年(1970)には、三波春夫の「こ~んにちわ、こ~んにちわ~♪」の歌声とともに、戦後2回目の国際イベント・大阪万博が開催されたが、遠く離れた沖縄では、2年後の本土復帰に向けての法改正が始まっていた。

 そこで風俗に関しては、本土同様の売春防止法が可決された。沖縄は終戦と同時にアメリカに統治されていたため、売春防止法はもちろん、日本の法律の及ばない地域だった。

 そのため、沖縄では遊郭は廃止されたものの、実際はバーやおでん屋の看板に変えただけでそのまま残っていた。また、コザ周辺の米兵相手の特殊飲食店では、ホステスは営業時間中でも客と話しが合えば外出も自由。当局の推定では、全島の売春婦は7385人に及んだという。

 そして、南の島から北の大地に向かうと、札幌ススキノのトルコ風呂でこの年発案されたのが、二人の女性と遊べる「二輪車」だった。ススキノでは同じ頃全国に先駆けて、スチュワーデス(当時)やナース、女学生風の制服を使った”コスプレ”が始まり、「制服トルコ」と呼ばれていた。

 さらに、椅子が木製からプラスティック製のスケベ椅子にとって変わったのもこの頃。時代はベトナム戦争に学生闘争、万博や冬季オリンピックに沖縄返還など、国際的にも大きな出来事に揺れていた時代と重なっていた。

 ストリップでは大事なところも全部見せる「トクダシ」が人気となり、その後、関西ストリップは、早くも「ナマ板本番」時代へと進んでいった。

 トルコ風呂業界の勢いは相変わらずで、それを問題視した総理府が官報で「トルコ風呂営業の実態と対策」を発表したのもこの頃。営業の現況から用語、料金まで詳細に説明されていて、もしこれに実際の店名や電話番号が載っていれば、風俗誌の先駆けとなっていたのかもしれない(笑)。

 そしてこの後、日本の世の中は、オイルショックと消費者物価値上げ、マイナス成長の暗黒時代へと突入するのだった。

 続く。

〈文/松本雷太〉


<参考文献>
・古今東西舎(http://kokontouzai.jp/region/nagatatyou2
・「戦後性風俗大系 わが女神たち」小学館 広岡啓一著
・「フーゾク進化論」平凡社新書 岩永文夫著
・「フーゾクの日本史」講談社 岩永文夫著

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