【平成風俗史】ノーパン喫茶~ファッションマッサージと、新法令の施行~


 当時、『トゥナイト』(テレビ朝日系)や『オールナイトフジ』(フジテレビ系)などの深夜番組で話題にもなったファッションマッサージの“ファッション”という言葉について、コピーライターの糸井重里氏は番組の中で、「『オシャレな』ではなく、『みたいなもの』ではないか」と解説していた。

 ちなみに、歌舞伎町にキャバクラが登場したのもちょうどこの頃だと言われる。また、風俗に対する罪悪感が急激に薄れたためか、素人売春が急増した。前出の(※)「夕ぐれ族」や「愛人バンク」などもその一例である。

※風俗から悲壮感を排除した、明るく楽しい風俗の誕生
https://www.menscyzo.com/2019/04/post_97903.html


 そして、現在の「ソープランド」の名前ができたのも、やはりこの頃だ。風俗の「トルコ風呂」は、トルコ共和国の名前を汚すものだとして、トルコ人留学生が当時の渡部厚生相に直訴したことにより、特殊浴場協会は「トルコ風呂」の名称を廃止。公募した上で「ソープランド」に改称したのだった。

 改称発表は、赤坂プリンスホテルで記者会見まで開かれ、当時は風俗が今よりずっと世間に浸透していたことを思い起こさせる出来事である。

 昭和59年、『歌舞伎町USA』の成功を見た同業のノーパン喫茶各店は、それに追随するように、個室マッサージ(ファッションヘルス)に転業していった。

 しかし、その様子を当局がだまって見過ごすはずはなかった。翌昭和60年2月、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)」に大幅な手直しが加えられる。

 新たに規制されたのは、個室マッサージ店も公安委員会への届け出対象になることをはじめ、病院、官公庁、学校などの施設から周囲200メートル以内には新たに出店できないことなどだった。

 しかしそれは規制ではなく、事実上の“出店禁止令”であった。つまり、現在ソープランドや店舗型ファッションヘルスとして営業している風俗店は、この時点で営業権を得ていた老舗ということになる。

 ちなみに、風俗店の謳い文句で「許可店」という言葉が出てくることがあるが、ニッポンにある風俗店で「許可店」は実は一軒も存在しない。正しくは、店舗型や派遣型も含めて「届出済み店」となる。

 「許可店」にしない理由は、許可してしまうとそれを取り下げるのは一筋縄でいかないためで、逆に読むと、公安委員会次第でいつでも一方的に閉店させられるようにという意図が含まれているのだった。

(文=松本雷太)

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