――実際にモーニング娘。などのオーディションに応募したことはなかったんですか。
「ないです。めっちゃ田舎に住んでいたので遠い世界の話でした」
――それが、どうして芸能界に入ることになったんですか。
「名古屋の短大を卒業して上京するタイミングで、グラビアの仕事をしたいなって思って、今の事務所に応募しました」
――体に自信はあったんですか。
「その時はあったと思います。でも事務所に入って、周りのグラビアの子を見てヤバいな…って数カ月でどん底に落とされるんですけどね(笑)」
――二十歳でグラビアアイドルを目指すって、やや遅いですよね。
「それは今でも思いますね。入ったはいいけど、その時のブームもあるし、事務所がアイドルに力を入れていたのもあって怪傑!トロピカル丸に入ることになりました。私の最初のお仕事ってTIFで、事務所の先輩グループであるAeLL.さんのバックダンサーだったんですよ」
――それは恵まれたデビューですね! 実際にアイドルグループ活動をやってみていかがでしたか。
「完全な素人だったので最初は苦労しました。なんだかんだで他の子たちは歌やダンスの経験があったりするんですよ。みんなに付いていけないし、最年長でババアみたいな扱いだったし(笑)。メンバーも私は短大卒業しているのに最年少は中学生でしたからね。でも自分なりにアイドルぶって頑張っていました」
――グループ活動で特に楽しかったことは?
「けっこう青春していましたね。(山口)めろんちゃん(当時は山口水季)とは唯一同じ年で、AeLL.さんのバックダンサーから一緒にやってきたので、川辺で体育座りして将来について熱く語り合っていました。年下だけど精神年齢の高いももはる(百川晴香)ちゃんとも、よく話し合っていましたね。今思い返したら寒いんですけど、『必ず努力は報われるから、どんな時も頑張ろう!』みたいな前向きな話をしていました。時には辞めたいって時もあったんですけど、そんなときも3人で励まし合っていました」
――どうして卒業したんですか。
「日テレジェニック2014に選ばれて、自分の中でずっとグラビアをやりたいって気持ちがあったので、これを機にグラビア活動に切り替えてやっていきたいって相談して卒業させていただきました」
――その前からイメージDVDは出していましたよね。
「トロピカル丸時代に2枚出させていただいたんですけどクソほど売れなかったです(笑)。それで現実の厳しさを知ったんですけど、撮影自体は楽しかったです」
――グラビアアイドルを目指していたとはいえ、水着になることの恥ずかしさはなかったんですか。
「最初はありましたけど、同じグループの子と行ったのでキャッキャしながら撮影していましたね」
――日テレジェニックに選出されるまでの過程は『アイドルの穴~日テレジェニックを探せ!~』という番組で放映されますが、1クール3カ月だから、かなり長い戦いですよね。
「本当に大変でした。競い合っている子たちの間でギラギラはしていたんですけど、熱くなればなるほど仲良くなって、あれも青春でしたね」
――すぐにバラエティ対応はできたんですか。
「ぜんぜん最初は前に出られなくて、番組後半になって『このチャンスを逃したら事務所に干される!』ぐらいに思って(笑)。トロピカルの中でも、そんなに私はキャラクターが突き抜けていなかったので、このチャンスを逃しちゃいけないと考えたんです。だから最後の3、4回でどうにかして跳ねるぞって都内中の神社を回って(笑)。お母さんも『じゃあ私は愛知中の神社を回る!』って。そしたら翌日の収録でMVPをいただけて」
――ご利益があったんですね(笑)。
「そこから目立てるようになってきて、MCの塚地武雅さんからいじってもらえる回数が増えて。その勢いで日テレジェニック2014をいただきました」
――トロピカル丸のファンも応援してくれたんですか
「すごく応援してくれたので感謝感謝でした」
――ライブアイドルと言えば物販がファンとの一番の交流の場ですけど、どういう意識で物販をやっていましたか。
「意識ってほどのことじゃないんですけど、グループ最年長で常に危機感を抱いていたので、一個一個を大切にしようって思ってやっていました」
――とはいえトロピカル丸は相当な過密スケジュールでしたよね。
「一回数えたことがあって、1年に319回ライブをした年があるんです(笑)」
担当マネージャー「そういえば先日、とあるアイドル現場でトロピカル丸のファンだった人と話していて、『まいぴょんで嫌な思いをしたファンは一人もいない』って言われたんですよ。それを聞いて、芸能界に残るのはこういう子なんだと思いました」
「え~! 初めて聞いた。嬉しい~。今泣きそうになっています…地道って大事ですね(笑)」