「ステッキガール」に「カクテル女」昭和の素人売春婦たち


 翌年の昭和5年には、服装は全身黒づくめ、指輪のダイヤまで黒という「カクテル女」が現れる。

 噂を聞いた新聞記者が出かけていくと、本当にいたという体験記が『大阪朝日新聞』に載っている。「ヘロウ」と英語で話しかけてきて、「お話でも…」と誘ってきては、不幸な身の上話をするとか。不幸話で男性の気を引くというのは、この手の女性ではよく見かける手口である。

 昭和8年頃には「散歩ガール」なる女性が神奈川県・大磯海岸に出没するようになる。

 これは資料を読む限りではかなり悪質だ。海岸をうろついて男性に声をかけるのだが、一緒に海辺を散策するだけでデート代を請求したらしい。この年の7月、ある男性が「海岸を一往復で60銭、12回往復しただけで7円20銭もとられた」と警察に泣きついてその実態が発覚した。当時の7円は現在の8000円から1万円程度だろうか。散歩のお供で8000円とは、とんだボッタクリである。

 さて、気がつけば最近の日本の首都圏では、いわゆる「立ちんぼ」という女性をほとんど見かけなくなった。これは、取り締まり云々というよりも、ストレートにカネにならないからではなかろうか。最近では、普通に勤めている風俗店の女性ですら、お客が少なくてアルバイトをせざるを得ないケースが激増している。「フーゾクは稼げる」という時代は、とっくの昔に終わってしまっているのかもしれない。
(文=橋本玉泉)

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