AKB48に入れなかった、日テレジェニックにもなれなかった…「あと一歩足りないアイドル」稲森美優を駆り立てるものとは

 
――“あと一歩足りないアイドル”のスタートである、初めて惜しいところまで残ったオーディションは何だったんですか。

「後に合格者がチームKとなる、2006年の『第二期AKB48追加メンバーオーディション』で初めて最終審査まで残りました」

――その時に合格したメンバーには誰がいたんですか。

「大島優子ちゃん、梅田彩佳ちゃん、秋元才加ちゃん、宮澤佐江ちゃんなど錚々たるメンバーでしたね」

――一緒にオーディションを受けていて、合格する子たちの違いって分かるものですか。

「分かりますね。特に優子ちゃんと彩佳ちゃんはオーラが違うなって思いました。可愛いのは勿論なんですけど、堂々としているというか」

――そんな中で合格する自信はありましたか。

「自信はありました。合格発表の時も、モーニング娘。では定番ですけど、最後の最後で『もう一人います』って展開があるじゃないですか。それを期待して残っていたんですけど、何もなく『帰ってください』って言われて(笑)」

――オーディションを受ける前にAKB48劇場に行ったことはあったんですか。

「なかったんですけど、合格したメンバーで仲良くなった子もいたので、オーディション後は一人で観に行ってました。心の中で劇場に通っていれば、支配人の目に留まってみたいな気持ちもありましたけどね(笑)」

――どんな気持ちでステージを観ていましたか。

「皆すごい頑張っているなって、感動して泣きそうになることもあったんですけど、その一方で悔しい思いもあるし、どんどん売れていく姿を見て複雑な心境でしたね。正直、嫉妬心もあって、売れ始めた頃は観たくないなって気持ちでした」

――芸能界に入る足がかりは何だったんですか。

「高3の時に原宿を歩いていたらスカウトを受けたんですよ。原宿もスカウトされに行ってたんですけど(笑)。ただ、そこはレースクイーンがメインの事務所だったんです」

――高3ってことは、進路を決めなきゃいけない時期ですよね。

「そうなんですよ! 親のことを考えると就職した方がいいのかなって就活をして、ちょうどアパレル関係の会社から内定をもらった時期だったんです。ただ就職活動している時も、アイドルになる夢は持ち続けていて。スカウトを受けたことを親に話して、泣きながら話し合ったら納得してくれて。それで内定は辞退しました」

――レースクイーンをやることに戸惑いはなかったんですか。

「アイドルを目指していたので、正直ありました。ただ学ぶことも多かったです。写真の写り方もそうだし、目上の人との接し方もそうだし。社会に出たこと自体が初めてだったので、いろいろ学ばせて頂いたんですけど、その頃にファンになってくださった方が、いまだに応援してくれるのはありがたいことですね。最終的に事務所の方針もあるので、方向性が違うからと1年ほどで辞めさせて頂きました」

――事務所を辞めた後はどうしていたんですか。

「2年ぐらいフリーで活動していました。オーディション雑誌を見て、テレビ番組だったりwebグラビアだったりのオーディションを受けて、ちょこちょこお仕事を貰っていました。あと撮影会のお仕事もしていました」

――その頃はアイドル活動みたいなことはしていなかったんですか。

「あくまで趣味だったんですけど、『踊ってみた』みたいな感じで、AKB48の振りコピユニットを組んでライブハウスなどに出ていました。いつか本格的にアイドルユニットをやりたいから、それまでのステップとして経験を積むような感じでしたね」

――ほかのメンバーもフリーだったんですか。

「そうです。mixiで集まったんですよ(笑)。多い時で十人以上メンバーがいて、けっこう大きな会場でもやらせて頂きました。メンバーの中に顔の広い子がいて、プロの振り付け師さんにレッスンしてもらったこともあるんです。1年ぐらいは活動していました」

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