「奥さんのほうは私がお世話いたしましょう」 人妻を共有した話の結末は…

「共同便所」というタイトルで掲載された明治の新聞記事

0206hitodumakyouyuu_fla.jpg※イメージ画像:Thinkstockより

 明治時代の新聞を拾い読みしてみると、一人の女性をまるでモノのように扱うかのような記事が結構多いのに驚く。たとえば、ある資産家の老医師が若くて美人の人妻を見て、「自分の全財産と女房子どもをつけて差し出すから、どうか交換してくれないか」と頼み込む(明治14年・『東京日日新聞』)、借金を帳消しにする代わりに「奥さんを2年間貸してくれ」と条件をつける(明治41年・『東京朝日新聞』)などといった事件が、いくつも出てくる。大正14年に起きた「友人に妻を貸したのに返さない」という事件では、被害者の夫は警察に「友人を横領罪で訴えたい」と駆け込んだという。今日の感覚なら、誘拐か拉致監禁であろう。それを、品物を奪われたかのように「横領」とするところが、ちょっと理解に苦しむところではある。

 そうした事件のひとつ、明治9年4月13日の『郵便報知』にこんな記事が載っている。

 東京・深川扇橋(現・江東区)のある農家は夫婦と7歳になる娘の3人で暮らしていたが、「三度の食事を一度で済ます」ほどに貧乏しており、ついに離婚の相談までするほどになっていた。

 すると、この家に藤次郎(26)という男が4~5日ほど居候しており、その離婚の話をそばで聞いていた。そしておもむろに進み出ると、こう提案してきた。

「4、5日もお世話になった身ですから、今の話は聞き捨てなりません。そこで、どうでしょう。お嬢ちゃんの世話はダンナさんがみるとして、奥さんのほうは私がお世話いたしましょう」

 何とも珍奇な話に感じられるが、よほど困っていたものなのか、この提案を農家の男性は快くこう答えた。

「ご親切ありがとうございます。それでは、古女房で申しわけありませんが、こいつは藤次郎さんに差し上げましょう」

 すると藤次郎氏、「いやいや、そこまでは」とさすがに遠慮がち。

 「どうぞ上げます」「いえ、それは」となかなか話がつかなかったが、そこにさらに第三者が仲介に入り、離婚するのは不都合だろうという理屈から、「女房を半夜代わりまわしにすることに示談が整った」という。つまり、夜中ごとに一人の奥さんを交代で「お世話」することになったというわけである。

 要するに、2人の男が一人の女性を共有することにほかかならない。

 ところが、次第にこの奥方が藤次郎のほうばかりを好むようになっていった。記事には夫婦の年代が書かれていないが、おそらく壮年のことと推測される。だが、藤次郎は26歳の体力も精力も旺盛な年代。「女房は若い藤次郎の方がよいと見えて、夜鍋をするのなんの蚊のと先の亭主へは毎度断はるやうな都合」になったらしい。

 これには最初は辛抱していたご主人も、ついに我慢できなくなって苦情を訴えた。その後、どうやら示談になりそうだというところで記事は終わっている。

 ちなみに、この記事のタイトルは「共同便所」である。

 一方、明治8年7月28日の『東京曙新聞』には、「妻君共有村」なる記事が載っている。これによると、男が3~4人、女が2~3人で暮らしている家だか一角だかがあり、そこでは誰が誰の夫か妻かといった区別はなく、適当にパートナーを選んで生活していたようだ。それでいて、ケンカやいさかいも起きずに仲良く暮らしていたらしい。それを見て「感心でござると近所のものが」噂しあったという。
(文=橋本玉泉)

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