アイドル対AV監督『劇場版 BiSキャノンボール2014』はいかにして生み出されたのか! カンパニー松尾監督インタビュー!!

0210kanmatu_02※画像:鬼才・カンパニー松尾氏

 洋邦問わず独自のセレクトで幅広い映画ファンから支持を集める映画誌『映画秘宝』3月号で「映画秘宝ベストテン2014」が発表された。本ベストテンでランクインした日本映画は第9位の『劇場版 テレクラキャノンボール2013』のみ。そもそも本作はハメ撮りの第一人者として知られるカンパニー松尾監督が、AVとして撮影した素材を劇場版に再編集したものだ。

 AV監督が手掛けたドキュメンタリー映画としては、2011年の同ベストテンで平野勝之監督の『監督失格』が第10位にランクインしている。しかし、こちらはAVの素材も一部使用されていたとは言え、あくまで映画として製作されたもの。そもそも平野監督は自主映画出身で、他にも一般映画を手掛けている。純然たるAV監督が、AVとして撮影した素材を劇場版として再編集した作品が、映画ファンから高い評価を得たのは過去に例のない快挙だ。 
 

 
 『劇場版 テレクラキャノンボール2013』の始まりは2014年2月。渋谷道玄坂のミニシアター「オーディトリウム渋谷」で1週間限定の上映だった。ところが口コミでじわじわと話題を呼び、追加上映が決定。その評判はネットを中心に一気に広がり、劇場は連日満員御礼。日本各地の劇場でも拡大上映され、学園祭や映画祭からも声がかかった。お笑い芸人や女性タレントなども本作の魅力をメディアで熱く語り、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)ではパロディ企画も放映された。オーディトリウム渋谷は昨年10月で閉館したが、作品は今もロングラン上映が続き、2015年になっても全国を駆け巡っている。

 さらにカンパニー松尾監督は、『劇場版 テレクラキャノンボール2013』の続編とも言うべき『劇場版 BiSキャノンボール2014』を完成させた。今年2月7日から公開が始まったテアトル新宿を皮切りに、全国上映も決まっている。本作はタイトルからも分かる通り、2014年7月8日に横浜アリーナで解散ライブ『BiSなりの武道館』を開催したBiSを、『劇場版 テレクラキャノンボール2013』の主人公であるAV監督6名が解散ライブ前日から解散ライブ後の翌朝まで密着するという、アイドル映画の常識を打ち破る衝撃作だ。それゆえに注目度も高く、テアトル新宿での上映は封切り後から満席立ち見が続いている(2月11日現在)。 
 

0210bismatu_09.jpg※画像:『劇場版 BiSキャノンボール2014』より

 
 なぜAV監督がアイドル界の異端児・BiSの解散ドキュメンタリーを撮るに至ったのか。カンパニー松尾監督に『テレクラキャノンボール』シリーズの発端から遡って話を伺った。

――『テレクラキャノンボール』がスタートしたのはハマジムが始まる前のことですよね。

「僕が1987年から8年間在籍したV&Rプランニングで『燃えよテレクラ』というシリーズがあって、当時全盛期だった全国のテレクラを回っていたんですけど交通手段は飛行機だったんですよ。そこから発展して、僕はバイク好きなんですけど、夏にツーリングをしながらテレクラを回る企画を考えたんです。そこに映画『キャノンボール』を意識してツール・ド・フランスのようなレース形式を採用して97年に始めたのが『テレクラキャノンボール』シリーズです。h.m.pからは計3作リリースしましたが、やっぱり単体女優メインのメーカーですから決して売り上げは高くなかった(笑)」

――しばらくシリーズは休止しますが、2008年11月、8年ぶりに通算4作目となる『テレクラキャノンボール2009』を復活させます。本作は09年に開催された「AVグランプリ」でプレス賞を受賞しました。

「4作目は凄まじく売れたんですよ。大手の流通だったので僕らの力ではないんですけど(笑)。それまでのシリーズに較べたら倍は売れたんじゃないかな。ただ商売っ気でやったというよりは、お祭り的な意味が大きかったですね」

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――そして2014年に『テレクラキャノンボール2013』をリリースする訳ですが、どういう経緯で企画は立ち上がったんですか。

「そもそもハマジム10周年、僕のAV監督25周年という記念で2012年に企てていたんですよ。各監督のスケジュールも抑えてあったんですけど、撮影の一カ月前に僕が事故を起こして骨折で延期したんです。それで2013年にずれこんでしまったんですよね」

――エントリーしたAV監督は、どういう意図で選んだんですか。

「ベースは『2009』なんですけど、この時に新旧交代で(ビーバップ)みのる君が出てきて、過去のシリーズにも出ていたいちはらカズ(AV男優。現在は引退)は海外に行ってたのもあって交通事情に疎くなったり、年のせいか諦めるのも早くなったりして(笑)。それで『2013』は新しいメンバーとして社内監督のタートル今田と梁井一、h.m.pの社員監督・嵐山みちるを新たに迎えたんです」

――なぜ嵐山みちる監督を起用したんですか。

「『2013』のオファーをする数カ月前にh.m.pからお仕事を頂いて、その時に嵐山みちる監督の作品も見せて頂いたんですよ。彼が撮っているのは単体モノ中心なんですけど、もがき苦しみながらも面白いことを一生懸命やっているなと。それでオファーしたら快諾してくれたんです。そこで僕と山ちゃん(バクシーシ山下)、みのる君、新しい3人と3世代のカップリングでやってみました」

――すっかり衰退してしまったテレクラをタイトルに掲げることにこだわりみたいなものはあったんですか。

「正直、あのタイトルは半ば形骸化しているんだけど、札幌を最終ゴールにしたのは、まだテレクラが生きているからなんです。2000年前後に規制が厳しくなって、テレクラの広告はもちろんティッシュ配りもダメになったんです。それから新店はできてないし、今はテレクラにイタ電するなんて文化もないだろうから、伝説みたいな場所ですよ。ただ札幌は昔からテレクラが栄えていましたし、今もテレクラは野放し状態。土地柄が良くて、素人の女の子をAVに持っていきやすいんですよね」

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