人には言えない過去、背負うべき罪、いびつな愛…狭い路地に“在る”人間模様 約15年ぶりに映画復帰した工藤翔子×奇才・いまおかしんじ監督、新宿ゴールデン街を舞台にした映画で初タッグ!

画像:左:いまおかしんじ監督、右:工藤翔子さん(撮影=道清展行)

 多くの文化人が集い、海外にも名を轟かせる新宿ゴールデン街。今も昭和の匂いを残す、この飲み屋街を舞台にした映画『つぐない~新宿ゴールデン街の女~』がテアトル新宿で公開中だ。

 本作は随所にピンク映画のテイストが散りばめられている大人の人間ドラマで、かつての恋人に会うためにバー「罪ほろぼし」に東子という女が訪れたことをキッカケに、バーのママ、その内縁の夫、常連客の男と、4人の男女が情感豊かに絡み合う。撮影は新宿ゴールデン街で行われ、実在のゴールデン街のお店や住人が多数出演しているのも大きな見どころだ。

 監督は故・林由美香の代表作『たまもの』や日独合作のピンクミュージカル映画『かえるのうた』などピンク映画を中心に数々の傑作・話題作を世に送り出し、『苦役列車』や『華魂』など脚本家としての評価も高いいまおかしんじ。ヒロインの東子を演じたのは、1990年代にピンク映画やVシネマを中心に活躍、本作が約15年ぶりの映画復帰作となる工藤翔子。 
 

いまおかしんじ●1990年、獅子プロダクションにてピンク映画の助監督を始める。1995年、『獣たちの性宴 イクときいっしょ』で監督デビュー。主な作品に『たまもの』(2004年)『かえるのうた』(2005年)『おんなの河童』(2011年)『星の長い一日』(2013年)など。

 工藤翔子さんが店主を務める歌舞伎町の飲み屋『寺小屋』で、映画の裏話を中心に両氏の話を伺った。

──映画の企画が立ち上がったのはいつ頃ですか。

工藤翔子(以下、工藤):5年ぐらい前です。私は結婚して女優業を辞めていたんですけど、その時期に離婚しまして(笑)。ちょっと落ち込んでいる時に、知り合いの女優さんから「今は三十代の女優も少ないし、元気を出すためにやってみる?」と誘われたんです。それを聞いた国映(昭和33年設立の製作プロダクション。主にピンク映画を製作)の偉い人にもやってみようかって言われたんです。その話を『つぐない』で「罪ほろぼし」のママを演じている速水今日子さんにしたら、一緒にやろうって話になって。「こういうことはゴリ押ししなきゃダメだからゴリ押しするわよ」って速水さんが、いろんな人に声をかけてくれたんです。だから最初はピンク映画としてスタートしたんですけど、ピンク映画館が次々と潰れたり、震災があったりで、長く頓挫していたんです。

いまおかしんじ(以下、いまおか):ちょうど、この映画の話が出た直後ぐらいに、国映が映画製作を休もうかって話になったんだ。このまま企画も埋もれて行くのかなって、ちょっと俺は心の中で思っていたんだけどね。

──最初からゴールデン街を舞台にすることは決まっていたんですか。

いまおか:そんな感じでしたね。速水さんを始め、ピンク映画関係者はゴールデン街の店主が多いので、ゴールデン街を舞台にして、そこの人たちに出てもらおうって話でした。

工藤:あと国映に、どんどんゴールデン街は変化しているけど、これ以上変わらないうちに残しておきたいって考えていた方がいたんですよね。

──どういう流れで、いまおか監督にオファーがあったんですか。

いまおか:速水さんの店『夢二』に飲みに行ってた時に「監督やる?」みたいなノリで声をかけられました。

──ずいぶん軽いノリですね(笑)。

工藤:もともと私と速水さんの間では、絶対にいまおかさんにお願いしようって話になっていたんです。私は『寺小屋』の前に歌舞伎町でおでん屋をやっていたんですけど、いろんな監督さんが飲みに来ていて。中でもいまおかさんは屈託なく映画を撮られていたんですよね。

いまおか:屈託がなくってどういうことよ(笑)。

工藤:覚えておられないかもしれないんですけど、「本当はピンクは撮りたくないんだよ」ってことを言う監督さんが多い中で、いまおかさんは「バカじゃないの。ピンクでも映画は映画じゃん」みたいなことを仰っていたんですよ。あと、いまおかさんの映画を何本も観られているお客さんたちが、「いまおかさんの作品は顔のアップだけでキュンとしちゃうんだよ」って口々に仰っていて。私もそう思っていたし、速水さんも同意してくれたからお願いしたんです。

──工藤さんが女優活動を休止する前に、一緒にお仕事をしたことはありましたか。

工藤:いまおかさんの作品に出たことはないですね。

いまおか:女優を辞めたのっていつぐらい?

工藤:1999年ぐらいかな。

いまおか:確か俺が助監督をやっていた現場でも一緒になったことないよね。俺の中では先輩である瀬々敬久監督作品のヒロインの一人って印象だったな。

工藤:瀬々監督の作品で主演を務めたのは、私のデビュー作『終わらないセックス』の1本だけなんですけど、他にも何本か出ていましたからね。 
 

工藤翔子●1995年、瀬々敬久監督の『終わらないセックス』で映画デビュー。主にピンク映画、Vシネで活躍。1999年に女優活動を休止するが、『つぐない~新宿ゴールデン街の女~』で映画復帰。歌舞伎町のバー『寺小屋』の店主でもある。

──頓挫しかけた映画の企画が再び動き出したのは、どういう流れがあったんですか。

工藤:どんどんピンク映画館が潰れて行くので、一般映画として公開できる作品を作ろうって動きが出てきたんですよね。

いまおか:国映が映画を作らないと言っても、国映の作品をソフト化している会社は作品が欲しい。それでピンクじゃなければできるかもしれない、でもピンクのテイストを受け継いだもので何かをやろうって話になったんです。それでシナリオを作って国映に持っていくんだけど、なかなか読んでくれないんだ。その間はイライラしながらも、待つことしかできないからね。

工藤:焦ってもしょうがないことですけど、私も「どうなるのかなぁ」って気持ちはありました。役者仲間からも「どうせできないんだろう」って言われて悔しい気分も味わいつつ。何より速水さんが「早くしなよ! 翔子も40歳になっちゃったじゃないの」って言ってて(笑)。

いまおか:あるパーティーで、『つぐない』の製作に関わっているV☆パラダイスの人と速水さんが会ったんだよね。そしたら、その人が製作に乗り気だったらしいと。それを聞いた速水さんは「会議だ!」って言って関係者を集めて、そしたらやらなきゃいけないって空気が出てきて(笑)。具体的に映画が動いたのは速水さんの乱暴に人を集めるって行動力が大きい。速水さんの号令がないと、もっとのんびりやってましたよ。

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