【日本の奇習】「処女はかえって嫌われた」かつての日本のセックス事情

1113shojo_fla.jpg※イメージ画像 photo by Yohana Funes from flickr

 処女というものに対する評価は、世界的、歴史的に見てみると実に両極端である。古代ローマからその後のヨーロッパ諸国、キリスト教文化圏のように処女を神聖視する地域がある一方、処女を価値の低いもの、嫌悪すべきものとする地域や民族も各地に分散している。

 たとえば、アラカン王国(現・ミャンマー近辺)では18世紀まで処女と結婚することを嫌い、たとえほかの男性の子供を妊娠している可能性があったとしても、結婚相手には性経験のある女性を選んだという。また、中央アフリカのある部族の間では、結婚に際しては女性がセックスを経験していることが大前提で、もし花嫁が処女であったことが発覚した場合には、花嫁本人はもとよりその家族までも厳しい制裁を受けることが定められていたという。

 こうした、処女嫌悪、または処女をタブー視する価値観のあった地域や民族では、娘がある程度の年齢になった際に、母親や決められた親族などが、指や器具などを膣内に挿入するなどして物理的に処女状態を解除するという方法を実行するという慣習が、これまた世界各地で資料に残されている。

 さて、わが日本では処女については特別に神聖視するような考えはなく、さりとて観念的に嫌悪するような慣習もみられない。ただし、結婚に際しては、処女であるよりもセックスの経験を積んでいたほうがよいという考え方が一般的だったようである。

 明治維新以後、都市部では欧米文化やキリスト教の影響を受けて処女性に対する価値観が激変した。だが、郊外や農村、山村部などでは従来の慣習と価値観に基づいていた。そのため結婚について、花嫁はセックスの経験を積んでいるほうが好ましく、むしろ処女は敬遠された傾向にあった地域が少なくないようだ。そのため、戦後の昭和20年代から30年代まで、夜這いや若者宿、または地域内の年長者が10代の女子にセックスを実地に指導するといった慣習が続いていたことはそれなりの理由があったことを物語っている。さすがに日本では、指や器具で処女を喪失させるという方法を実施していたことはないようだ。

 ちなみに、処女とセックスするという作業が、いかに精神的な疲労と物理的な手間がかかるものであるかについては、経験した者ならよく理解できるはずである。ところが、一部の資料などには、処女に対する指導役の男性について「役得」などと表現しているものがある。学者先生や評論家先生などは、なるほど頭脳明晰かもしれないが、もっと現実というものをよくご理解いただきたいと筆者は考えるものである。
(文=橋本玉泉)

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