【ニッポンの裏風俗】写真で振り返る在りし日のちょんの間街 川崎・堀之内~南町


 街の印象では、堀之内が赤線で、南町が青線と思いがちだが実際はその逆。明治後期に現在の堀之内のある場所から南町へと、遊郭は移されたとある。その際に堀之内に残った遊女屋が、後の青線に繋がったとされている。

 筆者が知る堀之内は2000年前後からだが、2002年に撮影した写真には、摘発を受けてシャッターをバッテン印に封印されている店舗が見られる。取材時、この封印の意味がわからず、ご近所さんと思しき旦那さんに聞くと、「ここはあの商店の持ち物で、ちょんの間に貸していた商店店主も警察に引っ張られた」と教えてくれたのだった。

 

2002年撮影。ちょんの間が並んでいたであろう光景よりも、こっちの方が珍しい。


 その後、2006年にはテレビニュースでも報道された、ちょんの間壊滅の引き金となった大摘発を受けるのだが、その後も度々、摘発と再開を繰り返している。

 摘発されたとて、箱(店)があれば復活するのが裏風俗のたくましいところだが、この街は特別だ。2010年頃には常設ではなく、週末を狙ってゲリラ的に店を開けてはピンクのネオンを輝かせていた。しかし、やがて外国人の女のコがいなくなり、昨年あたりまで日本人の熟女さんがホンの数人だけ残っていたが、残念ながら堀之内はほぼ壊滅。南町も同様だがスナック形式なので、可能性は無きにしも非ず。三つのちょんの間の中で、最初にできたのが川崎なら、最後まで頑張ったのも川崎だった。

 


※画像:2004年、2005年撮影。日本人の若い女のコがいた店(写真・上)。日本人の女のコはドレス姿が多く、アジア系を含む外国人はカジュアルなタンクトップ、ミニスカなどが多いようだ(写真・中、下)


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