【平成風俗史】バブル到来~新規風俗店の急増に湧く夜の街~

 時代が移り変わった平成元年(1989年)には「ダイヤルQ2」が登場。そして赤羽には、のちのNK流の元祖となる「個室割烹(本サロ)」が生まれていた。

 関西に目を向けると、平成2年(1990年)大阪で「国際花と緑の博覧会(花博)」が開催されるにあたり、それまで大阪にあった二つの本番風俗、ソープランドと新地が問題となった。

 そこで、当局と関係者の間で取り決めが行われ、新地を残す代わりに大阪府内からソープランドを撤退させることで手打ちとなったと言われている。現在、大阪にソープランドがないのは、そういった経緯によるものだ。

 同じ年、報道や出版の現場でも衝撃が走っていた。NHK教育テレビが、写真家の篠山紀信氏が撮影した『TOKYO NUDE』でヘアーが写り込んだ映像を放送。続く平成3年(1991年)、同じく篠山氏撮影の樋口可南子写真集『water fruit 不測の事態』でも、ヘアーが写り込んだ写真が発表された。

 この作品に関し、回収や摘発は行われず、当局による口頭での警告処分に終わったことで、時代は一気にヘアー解禁に向けて走り出した。結果的に、その後、続々と出版されるヘアーヌード写真集のブームに先鞭をつけた形となった。

 そしてこの年、5年にわたるバブル景気が終焉を迎えていた。

 一方、東京・池袋では、また新たな風俗が芽吹いていた。マンションをプレイルームとするイメージクラブ(イメクラ)の誕生である。

 裸でプレイが始まるベルトコンベア式のソープランドやファッションヘルスに飽き始めていた男性に、ストーリーやシチュエーションをイメージさせる部屋や衣装を用意し、服を脱がせるところから始まるイメクラは、男性の性癖を解放する革新的な業種となった。

 当時の様子を元風俗紙編集長Y氏はこう語る。


「当初、イメクラは風俗店ではなく、池袋のマンションで始まった会員制サークルだったんです。『夜這い同好会』として風営法に縛られず、同好の士たちと妄想の世界に浸れる、楽しい大人の遊びだった。その噂をどこかで耳にした風俗業者が、歌舞伎町で店舗展開したのがイメクラの始まりなんです」


 現実世界では犯罪となってしまうシチュエーションを、ロールプレイングゲームのように現実体験できるイメクラは、夜這いから始まり、電車痴漢、セクハラ、お医者さんごっこなど、さまざまなアイディアが取り入れられていった。

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