大人のパーティの歴史


 平成に入ると、やや微増しながら推移する。平成3年(1991)頃に筆者が確認したところでは、都内に12箇所が営業。料金は11箇所で2時間3万円、残る1箇所のみが2時間2万5000円だった。さらに、エリアもJR山手線の大塚や西日暮里、日暮里とその周辺に集中していた。また、当時は無制限、つまり時間内であれば何人の女性と、何回でもプレイすることができるのが基本だった。女性は概ね40代以上で、若い女性は皆無であった。

 その後、94年に鑑賞会「大塚友の会」が摘発された。それによってこの業態がなくなることはなかったが、ビデオ鑑賞会の名称が使えなくなってしまった。そのため、以後「大人のパーティ」「大人の集い」「大人のサロン」「相互鑑賞会」などさまざまな呼称が使用され、96年頃にはほぼ「大人のパーティ」に落ち着いた。

 この頃には、料金も2時間2万円から2万5000円程度が相場となるが、無制限のシステムは維持。なかには「お試し」などと称して、1万5000円程度で1プレイというコースを設定するパーティも見られた。また、20代や30代の若い女性ばかりを集めたパーティも登場した。そのように、コアなファンが支持するアングラ色の強いフーゾクから、より広い層の利用客が気軽に遊べるフーゾクへと少しずつ変化していった。

 若い女性のみのパーティについて、筆者はちょっとしたハプニングに遭遇したことがある。五反田で営業していたある「女子学生ばかりのパーティ」を何度か訪れたが、ある年の1月頃に行った時には、男性客ばかりで女性が一人もいない。ちょうどその時期、大学や短大、専門学校の定期試験期間で、女性が全員休みだった。男性スタッフが必死に電話を掛けまくっていたが、20時頃になっても女性はひとりも現れず、筆者も含めて数名の男性客にスタッフは料金を返金。さらに割引チケットも手渡された。

 「申し訳ありません」と頭を下げるスタッフに、筆者の他のお客も、別に不満も口にすることなくその場を後にした。フーゾクには、いろいろハプニングがつきものである。

 98年頃から2002年頃、大人のパーティはピークを迎える。筆者が確認したところによれば、営業が確認されたエリアは、都内では大塚や西日暮里はもとより、新宿、高田馬場、池袋、渋谷、恵比寿、五反田、亀有、新小岩など。さらに、神奈川県の横浜に、相模大野や小田急相模原、埼玉県では西川口、千葉県は船橋や西船橋、津田沼と、かなり広範囲に拡散した。また、風俗情報誌や実話誌などでも盛んに取り上げられるようになり、知名度も上昇していった。さらに、プレイルームに仕切りを設けるところが増えるなど、利用客への配慮も変化していった。マンションだけでなく、戸建ての一軒家を会場にしたパーティも登場した。

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