【ニッポンの裏風俗】横浜黄金町・栄枯盛衰


 黄金町の転機は2004年、小泉政権及び石原都政時代。歌舞伎町浄化作戦が行われ、一番街などに並んでいた闇営業の店舗型ヘルス、イメクラが一斉摘発を受けた時期と重なります。

 黄金町でも機動隊を伴った「バイバイ作戦」と名付けられた摘発が集中的に行われ、ほどなく本当に「バイバイ」となってしまった。大岡川(おおおかがわ)沿いの道には、できたばかりのちょんの間用と思われるアパート風の新築の建物が、入居されぬまま放置されてました。

 

リバーサイドの白人街。


 摘発の建前は「横浜港開港150周年祭に向けての街の整備」というようなことでしたが、街に絡んだ犯罪も起きているのに加え、違法風俗があれだけ派手に営業していれば仕方ないでしょう。その後、東京オリンピック誘致が決まったので、遅かれ早かれ、同じ運命だったのではないかと。

 当時、約270軒に1000人いたと言われる女の子たちはどこに行ったのか。摘発後に日ノ出町周辺の大陸エステや連れだしパブに度々取材に行ったが、簡単に探し出すことはできなかった。

週末、路地は男たちでごった返していた。


 その後の黄金町は、アートスタジオや工房ができ、妖しいちょんの間街からアーティスティックな街へとイメージチェンジを図っている最中。ちなみに、黄金町駅前で営業していたラーメン屋は、焼肉屋に変わりました。

生まれ変わった黄金町の路地。

 

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