【ニッポンの裏風俗】横浜黄金町・栄枯盛衰

 黄金町の歴史を振り返ると、戦中に福富町(ふくとみちょう)や日ノ出町(ひのでちょう)に軍の施設ができ、追い出された人々がバラックを建てて住み着いた街で、戦後にはスラムのような街になり、麻薬売買の温床となったりもしつつ、1950年頃から私娼街の色が濃くなっていったようです。

 当初は日本人の娼婦ばかりでしたが、次第に台湾人やタイ人などアジア系の女性が増え、街が拡大するとともに、2000年代初頭の最盛期には、白人女性の店が集まる路地ができるほど国際色豊かな街になっていきました。

 当時の黄金町にあった区分け(利用客が勝手に命名した)は、「パフィー通り」や「コの字」、「リバーサイド」「極細」などで、白人はリバーサイドや日ノ出町駅に近い店に集まっていました。

すれ違うのがやっとの「極細」。


 「見た目で勝負」のちょんの間なので、当然、人妻や熟女系、ポチャ、ブスだけどサービスはいい子なんてのは極々少数派。カワイイ子が断然多く、中にはアイドル顔負けの女の子を見つけ、話しかけると返ってくるのは中国語やタイ語なまりの日本語なんてことはザラでした。

 筆者も、黒髪のストレートヘアが綺麗な美女に入ったら、顔は可愛いのに乳首は大きくて真っ黒、お腹は出産後でシワシワなんて、切ないこともありました。しかし、タダで女の子を見て歩き、いい子がいれば1万円で20分程度の刹那な疑似恋愛を楽しめる、スケべな男にとっては嬉しい街なのでした。

美少女の服を脱がせてみると…。

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