「セレブなお妾」から転落した美人教師


 現在の感覚なら、既婚者である徳左衛門のほうも悪いのではと思われるだろう。だが、明治時代には富裕層の男性が愛人を持つことは、世間的にある程度認知されていたという事情がある。つまり、愛人ばかりに執着するようだと問題が生じたのであろうが、家庭や仕事を大切にしているのであれば、本人の自己責任で愛人を持つことも許される空気だったようだ。

 ともかく、徳左衛門の怒りは収まらず、ついにお花さんは申し訳程度の手切れ金で追い出されてしまった。彼女は、その手切れ金で飲食店でも始めようと警察署に出向いたが、許可を取ることができなかった。

 

20160725001.jpg※画像:明治43年7月19日『東京朝日新聞』より

 
 そこで、再び裁縫学校の教師に戻り、平行して内職などをする生活になった。だが、そのうち「自棄を起こして身を持崩し」てしまった。記事には詳細が書かれていないので憶測だが、贅沢三昧の生活を続けてきた身では、それだけ働かなければ収入を維持できなかったのだろう。そして、無理をすれば、疲労やストレスでひずみが出てくるものである。おそらく、仕事も生活も乱れていったのではあるまいか。

 そうした落ちぶれたお花さんは、実家にも帰れずにさんざん悩んだ挙句、ついに自殺を思い立ったというわけである。

 美人というのは天賦のものであるが、彼女も道を踏み外さなければ身を投げるまでにはならなかったであろう。

 ちなみに、戦前の女性は貞操観念が強かったなどという人がいるが、新聞記事を眺めるかぎり疑問である。たとえば、しばしば見かけるのが違法な堕胎事件である。かなりの規模の違法な堕胎が、何度も事件になっている。ニーズがなければ、事件になるほど頻発することはないはずだ。
(文=橋本玉泉)

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