「テレビはオワコン」主義者に絶賛される“伝説のバラエティ”とは

※イメージ画像 photo by skippyjon from flickr

 「テレビはオワコン」とは、一体いつごろから言われ始めたのだろうか。ここ数年のことか。それとももっと以前から言われていただろうか。ともかく、インターネットという新しいメディアの登場が人々のテレビ離れを加速させたのは間違いない。しかし、その一方で、ネット上におけるフジテレビ批判を始めとする“テレビ批判”はますます過熱している。だがテレビを見ないで批判や批評はできない。ネットで番組をこき下ろすには、その番組を見なければならない。まるで敵対しているように見えるテレビとネットにはそうした矛盾する関係が成立しているのが現状だ。そんなネットの世界で、今なお懐かしむように絶賛され、語り継がれている芸人たちが存在する。

 たとえば、とんねるずの石橋貴明など、そうした賞賛を受けている芸人の一人だ。とかく、「企画だけ」「スタッフに恵まれているだけ」「後輩イジりがひどい」などと陰口を叩かれている印象のある石橋も、過去を振り返れば、やはり一時代を築いた芸人であるのは間違いない。そんな石橋に対するネットユーザーたちの主な賞賛の声は、「あの知識量はハンパない」「マニアックだけど、分かる人には分かる感じが絶妙」「昭和のテレビ史とスポーツ史を語らせたら最高」といった、彼の頭脳を褒め称えるものが多い。「深夜でいいから、過去を振り返る番組とかやればいいのに」というユーザーの声には記者も大きく賛同したい。最近ではあまり見なくなった石橋のマニアックな雑学的トーク。1990年代に爆発したそれを、ネットユーザーたちは懐かしむように賞賛している。

 また、とんねるずと同様、ダウンタウンに対する賞賛も大きい。特に1990年代に展開された松本人志のコントに対してのユーザーらの思いは熱い。匿名掲示板には、無数の動画が貼り付けられ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)や『寸止め海峡(仮題)』(フォーライフミュージックエンタテイメント)といった松本の代表作とでもいうべきコント作品の数々が溢れている。前述したとんねるずとは違って、「企画に恵まれていない」「テレビに向いてない」などとささやかれている松本だが、若かりしころに完成された多くのコントには、今なお根強いファンがいる。

 そして1980年代のビートたけしへの賞賛も後を絶たない。ツービートの漫才はもちろんだが、たけしがもっともユーザーたちから絶賛されているのが、今では影を潜めた彼の軽快なフリートーク。中でもまるで伝説のように語り継がれているのが、フライデー襲撃事件後の謹慎明け初出演となった1987年の『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』(フジテレビ系)。この番組内での、タモリ、明石家さんまとのフリートークは、まさに神がかったものだった。あのさんまですら太刀打ちできない軽妙な語り口で、タモリなどただうなずいているしかない様子は、当時のたけしの凄まじさを感じさせる。

 過去を懐かしむなど、ただの年寄りの郷愁だという意見も多いだろう。しかし、これまでに記した内容は、若かりしころの石橋や松本やたけしを知らない世代からの「全盛期のダウンタウンって実際どうだったの?」などという問いかけに、それを実体験として知っている世代の人々が答えたものがほとんどだということを付け加えておきたい。

 若い世代のテレビ離れが顕著だという話はよく聞くが、その理由はやはりテレビよりも刺激的なものが世の中に溢れているからだろう。1980年代90年代というのは、なによりもまずテレビが刺激的だった。そんな時代の芸人が面白かったというのは当然なのかもしれない。だが、今、ネットに溢れる当時の動画を見ても、その面白さは色あせるどころかさらに輝きを増している。何度見ても面白いというのは伝説だ。果たして、今のテレビバラエティを20年後30年後に見ても同じように笑えるだろうか。その答えは分からないが、今まさに作り続けられているであろう伝説を見逃すわけにはいかない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

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