【連載】本多圭のオトコとオンナの芸能恥話

長谷川理恵は、男の話題だけで生き延びてきた、新しいタイプのタレント!?

※イメージ画像:『BICYCLE BEAUTY 2011年 12月号』
ボイス・パブリケーション

<芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします>

 加藤茶、堺正章、小林薫に次ぐ”年の差婚”が注目されていた神田正輝と23歳年下のタレントの長谷川理恵が破局した。しかし、筆者にはなんの驚きも、感慨もない。神田が長谷川と結婚するつもりがなかったというのが、破局の原因だといわれているが、この”熱愛”は2人の話題作り、つまり打算の産物のような匂いがしてならなかった。

 神田はその昔、松田聖子と電撃結婚し、”聖輝の結婚”と騒がれた。芸能界でのステータスからいけば、聖子のほうが格上。本来なら、それまでの芸能界のしきたり上、結婚披露宴は、当時聖子が所属していたサンミュージックが仕切るべきだったが、神田が所属する石原プロモーションのメンツを立てて、同プロの仕切りになった。しかし、結婚後の神田は、聖子のスキャンダルに悩まされ続けた哀れな亭主のイメージが定着。俳優としても、石原プロでは常に館ひろしの2番手扱いでパッとしなかった。聖子と離婚後も、館との立場が逆転することはなかった。

 一方、女子大生モデルだった長谷川が有名になったのは、西城秀樹とのゴシップだった。といっても、当時、西城は全く身に覚えがないと言っていた。長谷川が売名で、西城との熱愛ネタを”売った”とささやかれたものだ。その後、石田純一との不倫が発覚。石田が離婚した後も、2人の関係はマスコミの話題になって、長谷川の名前は全国区になり、CMやイベント出演の仕事につながった。石田との破局後も、男性のウワサで女性誌を賑わせた。

 そんな長谷川は、タレントとしても女優としても、実績らしい実績が見当たらない。要するに男性の話題だけで生き延びてきた、新しいタイプのタレントなのだ。そんな長谷川と神田が、一昨年5月に番組を通じて交際が始まり、その年の暮れには熱愛と騒がれた。長谷川は、ゴシップタレントの面目躍如となった。しかし神田は、以前から、銀座6丁目にあるクラブ「T」のJママと夫婦同然の関係だった。そのことを取材から得ていた筆者としては、神田にはそもそも結婚する気などなく、ここでタレントとしての注目度を上げようという話題作りではないかという疑問を抱いた。狙い通り、昨年の石原プロの新年会で神田が発した「濃い(恋)も薄いも、濃いほうがいいでしょう」とのダジャレを受けて、長谷川が「プロポーズを待ってます」と発言したことから、にわかに”年の差婚”が注目されるようになった。 

 昨年の東日本大震災直後、ゴーストタウン化した夜の銀座で、夕方6時ごろから深夜12時過ぎまで銀座デートを楽しんでいたという情報を入手した筆者は、「不謹慎だ」と批判した。その後、2人の関係がギクシャクしだしたという情報を石原プロ関係者から入手。秋には破局説が流れたが、長谷川が否定して、表向き関係は持ちこたえていた。しかし、この話題も賞味期限切れを起こしかけていた。次なる展開は結婚しかないが、神田にその気がなかったため、話題作りの限界を感じて、破局を認めたとしか思えない。「約一年間プロポーズを信じて待ってきました。でも、残念ながら願いはかないませんでした」という、破局後の長谷川のブログのコメントも、ゴシップタレントとしてあっぱれだ。彼女の次なる”男性活動”に注目したい。
(文=本多圭)

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