「12.5右から考える脱原発デモ」と反・脱原発行動の広がり

migikara1209_01.jpg夜の銀座を進む「右から考える脱原発」デモ隊

 去る12月5日、都内で民族派の有志が企画する脱原発行動、『12.5右から考える脱原発デモNo.2』が開催された。民族派有志による同様のデモや集会はこれまでにも都内や横浜、船橋などで行われてきたが、さらに「アフター5バージョン」と称して、サラリーマンなどが勤め帰りにも参加でき、またそうした人たちにも訴えたいということから、平日の夕方にデモが企画された。今回はその第2回である。

 デモに先立って、民族派活動家の長谷川光良氏があいさつした。その中で長谷川氏は、「こうした集会に対して、『やっている意味があるのか』という声があります」と前置きし、「これまでは反原発の運動というと左翼のやるものと思われていました。でも、民族派がこうした活動を行うことによって、『これは思想の対立ではない。原発という危険なものはなくしていかなくてはならない』という意識に変化していくのではないでしょうか。つまり、原発をなくそうという活動が、思想対立から国民運動へと変化していくわけです」とデモや集会への意義を強調した。

 夕方19時、デモは銀座の水谷橋公園を出発した。当初の参加者は50名ほどで、日章旗を先頭に、「右から~」では定番となった、「麗しき山河を守る為に危険な原発を停止せよ!」の横断幕や、「子供たちの命と麗しき山河を守れ」のフレーズ、さらに故・野村秋介氏の言葉「友よ山河を滅ぼすなかれ」を記したのぼり旗を手にデモ隊が進んだ。

migikara1209_04.jpg「右からの~」ではおなじみとなったのぼり旗

 デモ隊を先導しながら、統一戦線義勇軍議長の針谷大輔氏が、「『右から』となっておりますが、右も左も関係ありません。国民として、市民として、人民として、危険な原発をなくしていきましょう」「もしかしたら100年後には、日本には人が住めなくなってしまうのではないかという危機感から、このデモを行っています」などの旨を訴えた。

 平日の銀座はまだ人通りも多い時間で、デモ隊に振り向く人も少なくなかった。交差点などでは「ああ、原発反対の……」とデモ隊を指差す高齢者や、携帯電話を向けて写真を撮る会社員風の人々なども多く見られた。

migikara1209_02.jpg夜の銀座を進む「右から考える脱原発」デモ隊

 デモは整然と進んでいった。その間、針谷氏は「東電の刑事責任が問われないなんてありえない」など、東京電力に対する抗議のスピーチを続けた。

 やがて19時36分頃、デモ隊は東京電力本店ビル前に到着。この時点で、デモ参加者は若干増えて56名ほどになっていた。東電ビルの周囲には、制服警官が5名ほど、私服警官らしき人影が数名。さらに民間のガードマンが待機していた。

migikara1209_03z.jpg東電前に到着したデモ隊

 デモ隊は東電前では、それまでの冷静な状態とは一変し、参加者は口々に「東電を許さないぞ!」「責任を取れ!」「東電出て来い!」などと口々に叫んだ。中には「人殺し!」などと激しく声を荒らげたり、声にもならない嗚咽を漏らしたりする参加者もいた。

 その後、デモ隊は内幸町から迂回して新橋駅へと向かい、20時過ぎ頃に桜田公園で解散となった。

 震災および福島の原発事故からすでに9カ月が過ぎようとしており、事態は改善の様子もみられない。そうした中で、反・脱原発行動もさまざまに多様化し全国各地で続けられている。一部には「もう反原発の行動は収束しつつある」などと見る向きもあるようだが、実際に各地のデモや集会を見ると、とてもそのようには感じられない。あるいは、かつての安保闘争のような「××万人のデモ」といった昔の記憶にとらわれているのではなかろうか。人々の意思表示や発言手法というものは、時代によって変化していくのが当然ではあるまいか。

 「右から~」主催者側は、年明けには大阪でのデモを予定しているという。
(文=橋本玉泉)

『原発と日本はこうなる 南に向かうべきか、そこに住み続けるべきか 』

 
原発との付き合い方を改めて考えよう

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