菅原文太も吠えた! 市民権を得つつある反原発の声

「朝日ソーラーじゃけん!」のセリフで有名な菅原文太が、都内で行われた「岩手、宮城、福島の被災者のための『ふるさと支援』発表会見」に出席し脱原発の狼煙を上げた。菅原は、先日イタリアで原発再開の是非を問う国民投票が行われたことを受け、「日本でも原発の是非を問う国民投票を」と発言。すでに脱原発を宣言しているドイツと共に「反原発三国同盟」を結成してはどうかと提案した。

 宮城県出身の菅原のほか、福島出身の西田敏行も出席した今回の会見。なかなか先の見えない原発事故に、ふるさとの風評被害を深刻視する西田は「個人的には原発はノーです。東電は防災にかなりいいかげんだった」と胸のうちを明かした。とかく政治的な発言が敬遠されがちな日本の芸能界の中で、この大御所俳優2人の起こした行動が今後どう影響を与えるのか注目を集めている。

 先日も俳優の山本太郎が脱原発を訴えた途端ドラマを降板、所属事務所を辞めるという騒動まで起こった日本の芸能界。特にテレビメディアでは、大スポンサーに当該事故を起こした東京電力があることから反原発はタブー視(もしくは無視)されてきた話題だったという経緯がある。もちろん今でも東電が大スポンサーであることに変わりはなく、山本がドラマを降板した理由もその辺りにあるという話。いかに公明正大をモットーとする報道機関といえども、会社組織である以上、大スポンサーの前には頭が上がらないというのが実態なのだろう。

 反原発を声高に叫ぶのは、そんなテレビを活動のメインステージにしていないアーティストたち。80年代から反原発を訴える故・忌野清志郎などの存在は日本の反原発活動家たちのシンボル的アーティストといえるだろう。そしてそんな彼の意思を受け継ぐアーティストたちは、斉藤和義、サンボマスター、ザ・ハイロウズ(現・クロマニヨンズ)など、超メジャー級の名前がズラリと並ぶ。他にもヒップホップのECDやキングギドラ(KGDR)らが福島での事故後次々に反原発ソングを発表。全国に広がる反原発活動を後押ししている。

 また、日本が誇る世界的作家の村上春樹も、今月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で今回の震災を引き合いに出しながら原発を”核”と表現して”反核”のメッセージを懇々と語った。先日、当メンズサイゾーでも取り扱った「6.11脱原発100万人アクション」(https://www.menscyzo.com/2011/06/post_2692.html)は全国各地で展開され、アーティストたちが率先して行ってきた脱原発の啓蒙活動はすでに市民レベルにまで広がりを見せているといえるだろう。

 1950年代の高度経済成長期に国家政策として実施された日本の原子力発電。目まぐるしく変化する時代に対応する新エネルギーとして、世界で唯一の被爆国の日本でありながら、当時のメディアは原発開始を”明るいニュース”として報道した。その後79年にはアメリカ・スリーマイル島での原発事故もありながら日本ではほとんど関心を向けられず原発開発は進められる。

 80年代に入り反原発の声がにわかに注目を浴びたのはチェルノブイリでの事故がきっかけだった。広瀬隆の著作『東京に原発を!』(集英社)や『危険な話』(新潮社)は30万部を超えるベストセラーとなり、忌野清志郎やザ・ブルーハーツが原発ソングを発表したのもこのころだった。

 しかし彼らの声は一時的には脱原発ムードを演出したが、それが大きな成果を生んだかというと、首を横に振らざるを得ない。反原発や脱原発を唱える人々は、ほとんど大手メディアで活動することはできず、どこか隅に追いやられ、いつの間にか全国各地に新たな原発施設が次々と展開されていったわけである。そしてようやく今回の震災を機に国民的な熱を帯びてきた脱原発の機運。政治学者の姜尚中は、全国で広がる脱原発の運動を「普段着で脱原発を訴えることができるようになった」と市民レベルでの発言を歓迎する。

 芸能界に限らず一般の社会でも政治的な発言が敬遠されがちな日本。出る杭にならず、郷に従う日本人は多勢に流される傾向がある。そんな日本人の美徳を逆手にとって、原発を暗に推進してきた大手メディアは、ドラえもんやガンダムの動力を小型の原子力と設定して巧みな情報操作を行ってきたのかもしれない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

『3.11の衝撃 震災・原発 特報部は伝えた』

 
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