【事件簿】夫も娘も売り飛ばした悪女

 また、勇がほとんど家にいない状況なのに、キワは次々に子供を生んだ。言うまでもなく、父親が特定できない子ばかりだった。身重、あるいは小さな子を世話するキワに、山での労働は無理だった。キワは村人たちをだまして米や野菜をかすめ、また麓の町の裕福な家からも現金をだまし取った。問い詰められると、キワは居直ったり、あるいは泣き落としで強引に切り抜けた。関係した男たちも、都合よく利用したらしい。

※画像:読売新聞 昭和36年6月25日「女の風雪」第1回


 子供たちが成長すると、長男と長女は商家などに子守や奉公人として出していった。顔立ちのよかった次女は、吉原遊郭に送った。夫に続いて、実の子供たちも次々に売ったわけだ。

 残った次男たちには、山を拓き畑を耕す仕事をさせた。やがて家に戻った長男やその嫁などを含めて仕事をさせた。立地が悪く村人が嫌がるような畑も請け負って子供たちに耕作させ、また地元の地主の持つ別荘地の管理なども引き受けた。

 すると、戦後の農地改革で、キワとその家族は相当な土地を手にすることとなった。丸太小屋一軒からスタートしたキワは、かなりの資産を所有するまでになったわけである。

 70歳近くになったキワは、食べていくのが精一杯だったと言い、子供たちを身売りしたことについては、手放すときに「いい目しろ」と願ったと語る。そして、孫たちが学校教育を受けて立派になれば「地獄さ行ってもいい」と話した。ちなみに、夫の勇がどうなったのか、記事には書かれていない。

 そのキワに、村人たちの目は厳しい。「この村で娘を吉原に売ったのはあのバハアだけ」と吐き捨てるように言い、穏やかな村で忌み嫌うものは「毒蛾とキワ」と嫌悪する。林業や炭焼きという地道で根気の要る仕事で生きてきた村人たちには、人々をだまし男をたぶらかし、夫や子供を身売りしてまで資産を築いたキワを、認めることができないのかもしれない。

 そのキワは、今は孫たちの名義になった広大な土地を眺めながら、タイル張りの浴室で朝湯を楽しむ日々だという。

(文=橋本玉泉)

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